00 Prologue -Fate-
「……ァ……ハァ………」
木にもたれかかる一つの人影、荒い息遣いをした人がそこに居た。
赤い外套を纏った白髪の人、遠くから見たらこのように映る。それだけならば何もオカシクはない。ただ疲れた人が休んでいるだけである。しかし、その人物は満身創痍。今にも斃れんばかりの状態であった。
そして何よりも見てわかることは纏う赤の外套をより一層、彼自身の血で赤く染めていたこと。何故これほどの傷を負っているのか。
それは、ついさっきまで彼を追ってきた者と一方的な戦闘をした所為。
――追う者と追われる者。
追われる者はただ逃げる。
追う者の気配をその背中で感じながら逃げる。追う者はその逃げる姿を両の眼から逃さないように追いかける。
追われる者の足を止めようと何度も目的へと仕掛ける。追われる者はヤラレナイヨウ防ぐ。
だが防ぐだけ。あとはまた同じように逃げるだけ。
何度も同じ展開、追う者と追われる者のいたちごっこが繰り返されていた。しかし、時間が経つにつれて少しづつ、明確に変化が現れた。追われる者の赤の衣が一層に赤く染まり始める。段々と鈍くなるその動き、それでも追われる者は逃げる。
実にその者は、よく逃げていた。
逃げている者は一人だが、追う者は一人ではない。四方八方からの襲撃に耐えていた。だが、それもここまで。
直に――すぐにでも終わってしまうだろう。――捕まる訳にはいかない、捕まれればその瞬間自分は終わってしまう。
――まだ……俺は死ぬ訳にはいかない。追われる者が初めて此処で追う者へと仕掛けた。その足が止まりそうになる直前で仕掛けた。
突如、追われる者の周囲に剣が宙に展開される。
一つではなく、数多の剣の群れが彼を守るようにと。それと同時に今まで彼へと放たれていたモノが途切れた。それもそのはず、追う者が追っていた者から逃げたのだ。
今までの役が反転する。追う者が追われる者へ、追われる者が追う者へ。正確には、今逃げている者を追っているのは展開されていた剣。
剣が目標へと宙を走る。追っていた者は自分達を追うコレがどれだけ危ういものか知っていたから逃げた。それを嫌うように逃げ続ける。
――そして、宙を走っていた全ての剣が爆発した。
地形を変える程の爆発であっても、死者は誰一人出なかった。
爆撃から逃れた者達がさっきまで追っていた者の場所へとすぐさま戻る。抉りとられたような地形を越えていく。早々に目的を捕まえるために。
だが、さっきまで追う者の目的が居た場所にあったのは血痕だけだった。
「……ここまでか…………」
それは自分を卑下した言い方。
情けない、不甲斐ない、全くの未熟。
微かにその男が笑う表情が物語っていた。「……さすがに最後のは無理しすぎた…………」
ついさっきの事を思い出して一言、男が呟く。
そして自分は馬鹿だなと、小さく付け足した。「………………」
彼は正義の味方を目指していた。否、そうで在ろうと今まで生きてきた。
そのために彼は人を救う、彼の出来る限りの力を持って人を救う。
しかし、どのような時でも救うためには他を犠牲にならない時が存在することもがあった。「……終わるの時はこうも呆気ないとは……しかし、果たして……ここで終わりでいいのか……」
時間が経つにつれて、虚ろになっていく男の眼。
それが何よりも彼に与えられた時間が残り少ないことを表している。「……俺もアイツと同じ道を辿ることになるのかな……」
彼の脳裏には、自分と全く同じ姿を浮かべていた。
姿、形、格好まで今の彼と同じ、その後ろ姿を。「……それも……また運命か」
――けど、アイツのような口調じゃないし、皮肉屋でもない。どうしたら、あんな風になるのか……
思えば色んな事があった。全て思い出すには、どうも時間が足りそうにない。世界中回ったしな……お陰で沢山言葉も覚えれた……爺さんもこんなのだったのかな。
そういえば家にずっと帰ってない。出て行ったのが突然だったからな。一度帰っとけばよかった。みんなどうしてるんだろうか……
此処まで来て女々しいぞ……衛宮士郎…………
――ああ、まずい、眠くなってきた。
悟ったのか、彼は苦笑いで天を見上げる。
その顔は何かを決心した顔をしていた。「……………よ、俺は―――」
「無様ね、衛宮士郎」
彼が天に向けて何かを語る前に女性に遮られた。
彼は虚ろな目で突然現れた自分を見下げている女性を見て再び苦笑いをする。女性は長い黒髪をした見るからに美人と誰もが発言するだろう容姿を持っていた。
ただ無表情で木に寄りかかる男を見下げる。「……遠坂……凛……遠坂か……俺を仕留めに……来たのか?」
「……まるでどっかの誰かさんに似たような言い方」
女性が倒れかかっている彼に歩み寄ると何処からか如何にも高価だと言える宝石を取り出し、静かに、そして淡々と言葉を紡ぎ始めた。
それを男は変わらず虚ろな眼で、もう考える力もないのか彼女を見上げるだけだった。「……どうしてだ……」
女性の言葉が紡ぎ終わると男は一言、言葉を投げだす。
「どうして……傷を治したんだ、遠坂」
「まるで死にたかったような言い草ね」
ほぼ死にかけていた男には生気が満ち、眼にも光が戻り、男が言ったように負った傷は癒されてなくなっていた。
よいしょ、と男の横に座り込み木に寄りかかる女性。
平静、落ち着ききった姿は実に優雅に映る。「む……口のそれぐらい拭きなさいよ」
「あ、ああ。すまん」
素直に女性に言われた通りに男は袖で口元を拭う。
「……ちゃんと見えてる、士郎?」
女性は代わって心配そうな顔で男を見やっていた。
その手には彼に差し出そうと、ハンカチーフが握られていた。「え、あ……すまん」
「…………まあ、いいわ。それで、助けた理由は唯の心の贅肉――これ使うと士郎が馬鹿にしてきたっけ」
「いや、その、何だ……すまん」
「今のは単にからかっただけよ。外見はそんなだけど、中身はいつ会っても変わらずね」
意地悪い顔で告げる女性。
それに反して戸惑うだけの男は完全に女性のペースに飲み込まれている。「遠坂、助けてくれたのはいいが――」
「わかってるわよ。貴方は私が何も考えてないと思ってるの?」
「……いや、そうだったな」
「うんうん、わかってるならいいわ。お喋りする時間も作ったんだから感謝しなさい」
笑顔で語る女性と申し訳なさそうな顔をしている男。
もうこの場での二人の力関係は変わりそうにない。「何か聞きたいことある? ないなら一方的に私が話すけど」
「遠坂が話してくれて構わない。聞きたいコトも全て話してくれるだろうし、思いつかないコトも言ってくれるだろうしな」
「そう。じゃあ気兼ねなく話させてもらうおうかな」
間に一息、何気ない一呼吸を入れて女性が話し始めた。
「士郎の故郷、最近一度帰ったんだけど、冬木に居る人達はみんな元気よ。あそこに居る人達は心配するなんて方が無理ね」
「そうか……それはよかった」
「男性陣はどうでもいいとして、問題なのは藤村先生も綾子も桜も結婚してないことかしら。藤村先生はしょうがないかも知れないけど、綾子と桜はねえ。理想が高いのかなんなのか、桜に至ってはどうも駄目そうだし、何でかわかる士郎?」
「俺に聞いてもわかる訳ないってわかって聞いてるだろ」
「正解。それで、桜に結婚は考えてないのか、って聞いたらこう答えたの『私は先輩以外は興味ありません』って。本当にあの子は可愛らしいこと言うんだから」
「……笑ってるとこ悪いが、それは俺に言っていいのか?」
「私だからいいのよ。それにこの際ぶっちゃけないと始まらないわ。そうそう、それとあの子も士郎にまだゾッコンね。貴方がそっちの方にある程度甲斐性でもあれば変わってたかも知れないのに」
「……言葉が過ぎるぞ」
「う……変に年は取るものじゃないわ。まあそれは置いといて――士郎の中じゃまだあの子が残ってそうだけど、違う?」
「………………」
「はあ……いつだか未練はないって言ってスッキリしてたと思ったら案外そうでもなかったようね。それより、そっちの方には単に気が回らなかったせいか……。こんなシチュエーションでも、どうもアッチにはそんな気は全く見せないないし、もしかすると士郎は……いや、そうじゃなくて、だとしたら…………? うん、これなら納得出来る――」
「遠坂……」
「……一人事だから流して。はあ……どうも溜息が出る」
本当に女性の言葉は一人事だった。
明らかに男を気にせずに話していたのだから。「――――後悔はないの? 士郎は正義の味方であろうとして、戦って、傷ついて、死にそうになって、一人で背負って、無茶ばかりして、貴方の善意の行動が蔑まれたり、裏切られたりもあったでしょう」
女性の声質が落ちる。横に居る男を心の底から想っているのか。低く、重く語りかけていた。
「そうだな……俺の生き方は我儘で勝手で可笑しいんだろう。――だけど自分の生き方に後悔はしてないよ、遠坂」
男の放った言葉で会話が途切れた。
二人の辺りは一層と暗く静かに空気が流れてる。
「そう、士郎がそう言うのならしょうがないわね」
「ああ……すまない」
女性は立ち上がりながら語る。
もう、これ以上は男に語らないと、今ので最後だというように。「じゃあ、お別れね。貴方がさっきまでやり残してたコトは私で片付けておいたから安心しなさい。アレと結ぶ必要はないってね。結んでたなら損よ損」
「……何から何まですまないな、遠坂」
男も女性に合わせるように立ち上がる。
その男の身体は長躯で余程鍛えたのだろう逞しい姿。女性は謝ってばかりの男を見上げる。
その姿を見て何を思ったのか、軽く笑い、「ええ、借りは高いわよ。これが終わったらもっと大変になるんだからね。次に貴方に会ったら、今までの借り全部返済してもらうんだから」
冗談混じりに言葉を述べた。
「返せるように努力するよ」
悪びれた顔でそれに返す男。
――空気が静かに流れる。
「ミたら駄目よ」
女性が懐から取り出した短剣を見ていた男に一喝。
素直に、了承したと一言入れて男は言われた通り止める。「――そうだ、最後に私の願い。士郎が人並みに幸せだと……楽しんでる姿を見たかったわ。私じゃ叶わなかったけれど、この言葉だけは覚えておいて」
――――わかったよ、遠坂。
そう言葉を残し、衛宮士郎の姿はこの世界から消え去った。
2008/6/7 改訂