34 修学旅行3日目昼・守る姫と守られる姫

 

 

「お嬢様、コチラへ」

「う、うん」

 少女が手を引く。片腕に人形を抱く同じ格好の少女を。
 引く手と逆の手には匕首を隠し持っている。柄の先端に飾りのついた一刀を。

 二人の足取りはそれ程速くない。舞妓の格好なだけに、決して動きやすいと言えるようなものではないからだ。
 手を引く少女の刹那だけならまだしも、引かれる少女の木乃香はどうしてもそれが足を遅める原因となる。それは単純な運動能力の差。

「くっ……」

 加えて、月詠が放った式紙が二人を追っていた。刹那が自分らの後を追いかけるそれを落とす行動が、更に足を遅らせる要因となっていた。

「っ、お嬢様お待ちを」

 刹那が足を止め、木乃香も続くように足を止める。

「ほえー、アレもCGなんかな?」

「ケケケケ、敵モ焦ッテ策ガ荒ェナ。イヤ、元々カ」

 身の丈2メートルを超える鬼が、二人と一体の視線の先に在った。鬼は道のど真ん中で何かを探すように周りを見回している。
 木乃香と同じように観光客は、CGやら中に人が入っているだのと騒ぎつつ、鬼を見ながら横を通りすぎるが、刹那にとってソレはそんな優しいモノではない。

 どうするか、と足を止めて考える刹那。選択肢としては、三つ思い立っていた。
 一つ目、あの鬼が何処かに消えるのを待つ。
 二つ目、自分らが周り道をして、退却できるルートを確保する。
 そして三つ目、正面から堂々と鬼を撃退する。

 一つ目を選んでも、あの鬼が自ら場を離れなければ、この選択肢など無意味同然。結果、敵の思う壺になってしまうだろう。
 三つ目、今の自身が持つ武器でも対処可能だろうが、見張りの役目を与えられた使いの鬼に姿を見せれば、コレも相手の思う壺ではないかと躊躇してしまう。
 では、無難な二つ目か。現状から変わらず、周り道をしようとも逃げられるのなら安全。自分が守るお嬢様にとっても、この選択肢が一番安全である。

「コチラです、お嬢様」

「うん」

 そうと決まれば行動は早い。刹那は再び手を引いて、道を変えるために足を動かした。

 刹那が焦っている証拠なのか、木乃香を握る手は強く、引く手もいささか強引なのだが、そんな刹那に木乃香は何一つ文句なく、むしろ喜んで受け入れていた。
 もっと落ち着いた場だったのなら、今の刹那にとっては何と幸福な事だったろうか。しかしそれを知る由もなく、二人はひたすらと足を動かすだけだった。

 

 

 

 

「ココにも見張りが……」

「鬼さんいっぱいおるな」

「ケケケ」

 道を変えども変えども、同じような鬼が二人と一体の目に映る。
 敵から逃れるための道は見つからず、観光所を完全に包囲されてしまっているのではないかと、刹那は考えを新たにしていた。

 ならば、いっそ切り拓くしかないか。

 刹那が先程思い立った三つ目の選択肢。敵を撃退し道を作るというもの。現状から逃れられぬのなら、最早コレしか自分に与えられた選択肢はない。

「せっちゃん、コッチは鬼さん居ないみたいや」

 刹那が鬼を避けていると、木乃香は今まで自身の手を引いてくれる大切な人の行動を見ていて分かっていた。その理由は分からないが、自分の信じている者がそんな行動を取っているのだから、自然と自分も大切な人のために手伝う。

 木乃香が指した道は人通りもなく、まさに抜け道といった具合の道。刹那の考えには好都合な道だった。

「お嬢様――」

「嬢チャン守リテェノハ分カルガ、チットハ冷静ニナレヨ」

 人形の声で、刹那の木乃香を引こうとしていた手と足が止まる。

 ――その通りだ。この道は明らかにおかしい。お嬢様を逃がすまいと配置された鬼。堂々と分かり易い位置に鬼を置くコトで自分らの逃げ道を無くし、その後やっとの思いで逃げられる道が見つかった。逃げたいと欲していたのなら、それだけ焦り、その道を選んでしまう。では、この道は……罠か?

 刹那は足を留まらせ、思考を巡らせる。

「チャチャゼロさん、何か良い案はありますか?」

 そして、出した結論はこれだった。
 自分より先に違和感に気付いた人形。その人形の助言ならば、今の自分より万倍も頼りなるだろう。それに人形は、いつも連れ歩いている二人の男が主人ではなく、人形が学校で時たま「御主人」と呼ぶ人が本当の主人であり、その人の従者であると知っての判断だった。

「俺トシテハ、オ前ガ敵ヲブッタ斬ルノヲ見テタ方ガ面白ェガ、ソノ態度に免ジテ最高ノ助言ヲシテヤルヨ」

 ケラケラと木乃香の腕の中で愉快そうにチャチャゼロは笑う。

「何処カニ一旦身ヲ潜メテ待機ダナ。相手モ刹那ノ実力ヲ知ッテルンダロウカラ、姿ヲ見セナケレバ逃ゲタト思ウ確率ガ高イ。ソレトナルベクハ、人ノ居ナサソウナ場所ヲ選ベバ関係ネェ奴ラニモ被害ハ出ネェダロ。詰マラン方法ダケドナ」

 チャチャゼロは口では詰まらないと言っておきながら、尚も愉快そうに笑っていた。

「マ、コノ方法デ敵サンガカコツケテ来タラ、敵ヲ斬ッテ逃ゲチマエバイイサ。ソウナルノガ一番楽シイガナ」

 安全性と危険性の両方を説明して、この案に乗るも乗らぬもお前次第とチャチャゼロは言う。

「……分かりました。チャチャゼロさんの考えで行きましょう」

 刹那は一呼吸だけ間を置いて、すぐに人形へ返答をした。

「行きましょう、お嬢様」

 貰った案へ乗るために、木乃香の手を改めて引く刹那。

「せっちゃん、隠れるんならあっこがええんちゃう?」

 黙って一人と一体の話を聞いていた木乃香が、在る場所を指さして口を開く。

「イインジャネーカ」

「分かりました。行きましょう」

 二人と一体が目指すのは城。此処の観光所の中では何処からでもソレが見えるくらい大きく立派な建物だった。
 一人は焦りを悟られまいと隠し、一人は何かはハッキリと理解していないが自分を想ってくれている背中に嬉しく感じ、残る一体はただ愉快と目指す地に近づくにつれて増していく含むような笑いを浮かべていた。

 

 


 

 

 二人と一体は、月詠の式神の追手を振り払い、そこらに見張る鬼を慎重に回避し、やっとの思いで目指していた城へと入るコトが出来た。
 それでもこれだけの敵に加え、動きづらい格好をしていたのにも関わらず、此処までに掛かった時間は速い方だと言えた。コレも二人の幼き時の信頼があっての事なのかは、今は誰にも分からない。

「こっそり侵入って、ウチら悪い子みたいやね」

 2つの足音が入る侵入口は、城の裏口からだった。

「すいません……お嬢様……」

「ううん、ウチからゆーたコトやもん。せっちゃんと一緒だから楽しいしなー」

 正面からではなく、裏口の方がいいと提案したのは木乃香。刹那自身もコレには、正面から堂々と目立つような真似をするより、格段に上策だと思って賛同した。しかし例え木乃香から言った事でも、自らが慕う者に余り悪い事をして欲しくないと思う刹那は複雑な気持ちだった。

「人の気配がありませんね……」

「閉城やったんかな?」

「ソレナラマスマス悪ガキダナ」

「……すいません」

 辺り静かな城内に声が届くのは3つだけ。
 刹那は木乃香の言う通りなのかもしれないと思いつつも、警戒だけは怠らない。外に敵がわんさかと溢れかえっているのだから、何もせずに和んでばかりはいられないのだ。ただ、人の気がないお陰により、何かが居るのなら察知し易いのが幸いだった。

「せっちゃん、もっと上いこー」

「あ、お嬢様、駆けあがっては危険です」

 今度は木乃香が刹那の手を引いて、城の階段をカンカンと音を立てながら上がって行く。

「どこまでいこーか?」

「男ナラ天辺目指スダロ」

「えー、ウチら女の子やけど、チャチャゼロくん男の子なん?」

「サーナ、トリアエズ人形ナノハ確カダゼ」

 長い昇り階段を、楽しそうに笑いながら上がる木乃香とチャチャゼロ。
 刹那は楽しそうにする木乃香を黙って見ながら、木乃香の手に引かれるままにしていた。

 ――私はこの笑顔が守れればそれで。

 刹那が思うは、この一つだけ。それが何よりも刹那にとっての幸福の象徴だった。
 だからこそ守る。木乃香を狙う如何なる敵へ我が身を捧げ、自分にとって大切なモノを失わないために。

「あ、せっちゃん、部屋や! あそこ入らん?」

 二人と一体が階段を上がり終えると、目の先には閉じた障子扉が映っていた。

「分かりました。ですが、私が先になって入ってもよろしいでしょうか?」

「うん。せっちゃんがそうゆうなら」

 刹那が一歩先に、木乃香の左手を引きながら歩く。扉の前までは普段通りに歩むが、慎重さだけは忘れずに。
 扉の目前。刹那の匕首を隠し持つ左腕に力が籠る。

 人の気配は感じられない。中も安全か……?

 刹那は障子に手を伸ばし、ゆっくりと左の手で横へと引く。

「……気の使い過ぎでした。安全なようです」

 空の広い部屋を見渡して、息を吐く刹那。

 警戒はきっと、この手が握るお嬢様にも伝わる。度の過ぎた警戒は不安に繋がる。お嬢様は優しいから、そんな事は気にしないように繕うだろう。もっと、もっと修練を積めば、お嬢様に苦労を掛けさせないようになる。
 そう心の中で呟いて、新たに目標を高めようとする刹那だった。

「こっから、士郎くん見えるかな?」

「コンダケ昇ッテクリャ見エルダロ。ボコボコニサレテリャ面白イノニナ」

 それは此処に来る前に刹那と木乃香のため、襲撃してきた月詠の前に立ち塞がった男。刹那の夕凪を抜き、戦っているだろう男。決着がついていないのなら、まだ借り物の野太刀で二刀を携える少女と戦っているだろう。

「士郎さんを見るならば……コチラです、お嬢様」

 刹那も士郎の事は気になっていた。学園に来た二人の男子の内の一人、衛宮士郎。
 衛宮士郎については一部の使う魔法以外、知っていないに等しかった。衛宮士郎の実力を刹那は全く知っていないのだ。そして、唯一知る魔法も武器を取りだすだけの魔法。士郎の取り出した武器は、何か神聖な力を感じるモノだと刹那は思ったが、武器を取りだす事と戦闘は直結しない。取り出せても相手を捻じ伏せられなければ意味はないのだ。

 さらに、もう一人の男の実力を知っているだけに刹那の不安は拭いされない。その男とは一度仕合せ、結果は刹那の勝利。悠々とした勝利ではないが、実力は確実に自分の方が上だと刹那は思っていた。
 そしてあの月詠は、自分と同等以上の力を持っている事を先日仕合せて知った。
 あの衛宮士郎が、旅行前に自分が仕合せた男と同等程度ならば、月詠に勝利する可能性は低い。

 頼ってしまったのは自分だ。悪い結果になったのなら、自分が……。

 不安を抱きつつも、その眼で現の事実を確認するために、自分と同じく見たいと願っている木乃香の手を引く。

 ――パンッ――

「っ……!?」
「ほえ……?」

 突然と障子が閉じる音が部屋に響いた。

 部屋に入ってから障子は誰かが閉めたか?

 そう思うは刹那。
 正解は刹那も木乃香も開けた障子は閉めてない。開いていた扉が閉まったのは音が鳴った今だった。

「ふふ、このかお嬢様、二日振りどすなぁ」

 声が部屋に響く。刹那でも、木乃香でも、チャチャゼロでもない声。

「お嬢様と……そっちはひよっこか。ふふふ、ひよっこも、そないなおめかしして」

 くつくつと笑うは、二日前の夜、木乃香を攫うもネギ、アスナ、刹那に取り返され失敗に終わった天ヶ崎千草という女性だった。
 千草が纏う肩を露出させた衣装は妖美にも映り、丸眼鏡の奥にある瞳は野望という黒い瞳に彩られていた。

 刹那は状況を、すぐさま判断して木乃香を自分の背に隠し、五間の距離がある敵へと匕首を構える。
 対して千草は刹那の本来の武器である野太刀を持っていない事に疑問を感じたが、油断せずに刹那を見据えていた。例え得物が匕首であろうと、ひよっこであろうと、相手は神鳴流剣士、先日のように遅れを取るのだけは避けたかった。

「くっ……」

 焦る声は刹那から。それは敵を察知できなかった自身の不甲斐無さから、でもあるが何より千草と一緒に居る自身のクラスの担任と同じくらいの年頃の白髪の少年のせいだった。

 何だ、この少年は……

 刹那の焦りは動揺へと変化する。刹那の目は千草も捉えているが、白髪の少年へ集中する比重が高かった。
 白髪の少年から刹那が感じ取れる事はない。敵意も殺気も、感情すら感じ取れなかった。人ではあるが、まるで意志のない人形のようだと。何もないからこそ動揺が大きくなる。

 呑まれれば――。

 危険に晒すのは自身。何よりも慕うお嬢様だと刹那は頭の中で語る。

「お嬢様! 手荒になりますが、失礼を!」

 カカッ、と木を断つ音が十二。刹那が自分達に一番近い窓部の柵、計六本の上部と下部を十二の匕首を飛ばして断った音だった。

 刹那が取った選択は、此処に来る以前から取っていた行動と同じ逃走。
 柵が無くなり開けた窓から、チャチャゼロを抱えた木乃香を抱きかかえ外へと脱する。

 早々にココから離れなければ……あの少年は危険だ。

 屋根瓦を踏み、退却するために階下の足場になりそうな場所、且つ敵が罠を仕掛けていないかを己が目で識別する。

「……っ……!」

「くまーーー」

 木乃香を抱える刹那は、一つ上の階の瓦へと飛び上がる。
 上へ逃げるような行動は、間抜けな声と一緒に一つ下の階の窓から、愛くるしいヌイグルミのような大きなクマ型の物体が現れたから。

「無駄や、ひよっこ。どう足掻いても、もう逃げられん」

 刹那達の真下からは大熊のヌイグルミ、側面の階下からは天ヶ崎千草。
 逃げ道があるとしても屋上。だが、そこに行けば退路はなくなる。故に決して逃げ道と断言できるものではない。つまりは千草の言う通り逃げられない事となる。

 それでも、此処よりは十分に整った場所だ。

 刹那は飛び上がり、もう一つ上の城の天辺へと足をつけた。
 城の瓦に音を鳴らして駆け、初めに天辺へ足をついた場所の逆端へと行き、抱きかかえた木乃香を降ろす。

「お嬢様……お嬢様は私が守ります」

 刹那は木乃香の目を見てハッキリと言葉を出す。微笑みの表情を浮かべて。

 逃走が不可ならば、もう戦闘しかない。

 刹那の決意は決まった。
 すぐさまと振り返り、その手には匕首を、そして木乃香を背に隠すように構える刹那。
 振りかえった先、刹那達とは逆端に、後を追ってきた千草と式神が三体、そして、その中の大熊の式神の頭の上に立つ白髪の少年が律儀に待ち構えていた。

「ふふふ、ひよっこ、そないな派手なカッコでお嬢様を守れるかえ? 例えこの鬼の矢を弾けたとしてもウチらが同時に攻めれば一溜りもないやろ。大人しくお嬢様を渡しておくのが利口やないか?」

 式神は先程の大熊のヌイグルミ、それとは別に大猿のヌイグルミと、見張りとして配置された鬼よりも大きく、翼を持ちあわせ、その身に合う大弓を構えた鬼が召喚されていた。
 この三体、千草、白髪の少年を合わせれば五体一という、数の差で圧倒的に不利のまま刹那は戦う事となる。更に不安を煽る白髪の少年の存在と、守る者が居るという状況。不利な条件が揃いに揃っていた。

「例えどんな事があろうと、お嬢様は渡す訳には行かないッ!」

 だが、刹那は決して諦めはしない。
 この身はまだ戦ってすらいない。戦う前に諦めなどするものかと身構えていた。

 危険なのは、あの少年のみ。千草と式神ならば私だけでも、どうにかなるかもしれない。
 戦力を減らして、いざとなればあの人が助力に――何を考えているんだ、助けを乞うてもいない人物に頼るなど……実力を考えても私がやらなければならない。特にあの少年だけは、私が何としても仕留める必要がある。

 刹那のただならぬ雰囲気は、木乃香にも伝わっていた。
 初めは本当に劇かCGかとでも思っていたが、此処まで来ると前向きに考える木乃香でも、この状況は危険なものであると理解する。
 それでも木乃香は平常心で、黙って刹那の背中を見ていた。彼女が守ってくれると言ったのだから。大好きな彼女の言葉を疑わぬ訳がない。

「ふむ、どうやら諦めんようやな。ウチとしても心苦しゅうけど、そっちが諦めんのなら仕方あらへん」

 千草の悪びれた言葉。浮かべる表情が造りものだと誰にでも丸わかりなだけに性質が悪い。

 刹那と千草、互いに戦うという意志は同じ。だが、先に行動を取れるのは千草側のみ。この状況では刹那は受けに回るしかなく、これも互いに承知の事だった。
 それでは容赦なく、と千草が動く。その片腕を前へ突き出し、指を刹那へと向け、

「射てまえ」

 大弓を構える大鬼へと命令を降した。
 弦が低音を奏で、放たれた矢が風を切る。

 発射されたと同時に千草は符を構えていた。
 矢は恐らくは弾かれる。だが、弾いた際の隙を狙うのが自分の仕事。それで神鳴流剣士は御仕舞であり、お嬢様は自分らの手に落ちると。

「……へ……?」

 声を上げるは千草。
 我が目を疑い、瞬きを何度もする。
 千草には何が起きたのかが理解できていなかった。

 ない。
 たった今、己が陣営の鬼が射た矢が無くなってしまった。攻撃の起点にと射た矢は、己れの目にもしっかりと焼き付いていた。それが自分らと刹那の丁度中間辺りで音もなく突然と視界から消え去ったのだ。

 対して刹那も千草と同じ状態だった。
 矢を弾き、敵の強襲に備えていたのだが、矢もこなければ敵もこない。突然と消え失せた矢は、何を意味しているのかが分からず、この状況を掴めずにいた。その中で一つ気付いたとすれば、矢が消え失せる際に一瞬の不可解な音が耳に届いた気がするだけ。

 式神達も同じように矢の消えた空間を呆然と眺めてる中、ただ一人、別の方向へと目を向けている白髪の少年が居た。 

「くまっ――!?」

 大熊の式神が悲鳴を上げる。
 それに反応するように、矢が消えた空間へと向けられていた場の視線が還り掛かっている大熊へと変えられる。

 現世から消え去る寸前の大熊の額に刺さっているのは一本の矢。それは先程、消え失せた大鬼の矢ではなく別の矢であった。

 大熊の頭に乗っていた白髪の少年は、大熊に矢が刺さる前に跳び上がっていた。
 少年の眼は、射られた方向を正確に捉えている。少年の眼に映るは一人の赤い衣装を纏い黒の洋弓を構える男。その男の動きは、この世界の一般的な人間の動きと到底かけ離れた動き。

 空から正確無比に射る弓士が居ようか。人の眼に全く捉えられぬ疾さの矢を射る弓士が居ようか。普通の人間なら、このように考える。だが、射た者も、それを察知した者も最早普通とは呼び難い。
 次弾を洋弓に装填する男を確認して、白髪の少年はそれに迎え討つ態勢を取る。

 この一連の流れは僅か一瞬。弓士と少年以外にそれに気づけたのは、刹那一人と木乃香が抱える人形だけだった。

「あ……」

 刹那から小さな声が漏れる。その目の先に見えたのは、白髪の少年の背後に迫る真っ黒な影から放たれた銀の閃光だった。

 

 

 

 

「よー、飽きんな」

 巫女衣装に身を包んだ長谷川千雨の目の前、橋のド真ん中で起きている惨状を簡単に一言で述べた。

 旅行に来ても、学校の中と同じようにして騒ぐ自分のクラスメイト。
 今はCGなのだか、人形なんだか、よくわからないヌイグルミのような物体と、こうも元気にじゃれてやがると千雨は思っていた。

「お前は参加しないのか?」

 千雨の質問に無言でコクリと頷く、千雨と同じ班員のザジ・レイニーデイ。
 そうか、と千雨は一言返して、再び橋の上の馬鹿騒ぎしているクラスメイトを眺める。

 端から観ている自分達以外の班員に加えて、別の班の二人が観光所で騒いでいる。
 本人達が楽しいならそれでいいんだろうが、自分はそんな観衆の前で醜態を晒すのは御免であると、千雨は他人のように振舞っていた。

 同じクラスメイトの女子達から、別のクラスメイトへと千雨は視線を移す。
 その視線の先にあるのは、二刀を使う洋風衣装の少女と、観光所には全く合わない衣装を纏い、観光所に合うような野太刀を扱うクラスメイトになってしまった男子。
 観衆が二人の殺陣に感嘆するように、千雨も二人の刀を交わす刀には息を呑んでいた。

 そもそも、あれじゃプロ顔負けじゃねーか。

 これはあくまで劇であり、クラスメイトの男子が刀を振るっているのは、女子がヌイグルミと遊んでるのと同類であって決して別の何かではない、と千雨は思っている。
 そうだと頭の中で断言しようとしているが、それでも刀を振るう男子、衛宮士郎の姿には違和感染みた何かを感じ取っていた。

 千雨は黙り、観衆に溶け込みながら、少女と士郎の華麗な殺陣を眺める。

「あ? あんだよ?」

 ぐいぐいと引っ張られる袖の方へと振り向く千雨。そこには、やはり無言のザジ。彼女は普段の学校生活と同じく口を開く様子も見せないまま、ある方へと指をさしていた。
 千雨は、折角あのバケモン染みた殺陣を眺めてたってのにと、少々不機嫌になりつつも仕方なく、ザジの指の先を目で追う。

「ん、馬車がなんだってんだ」

 ザジが指していたのは、士郎と剣を交わせている少女が此処に来るにあたって、また士郎と最初に仕合いの約束をした時に乗っていたものだ。
 別段と変わった事がある訳でもないと、千雨はもう一度ザジの方へと振り向くとフルフルと顔を横に振っていた。
 そんなザジを見て、千雨は溜め息吐きながらも、もう一度馬車の方へと見る。

「あー、黒子が居ないってか?」

 今度はさっきよりも注視して見た結果に出た千雨の言葉がコレだった。
 ザジは千雨の言った言葉に首を縦に振って返す。

「さぁな、別の仕事なんじゃねーの」

 馬車に馬を牽く人が居ないのは、確かにおかしい。馬が暴れ回ってしまった時に制御する者が居なければ危険だから。それでも今は馬も大人しいし、暴れ回る心配はなさそうだから、どうでも良い事だと千雨は思っていた。それに、今はあの二人の剣舞を眺めていたいのが正直な所だとも思っていた。

「あーー、なんだよ今度は」

 そう思っていたのに、またザジに袖を引かれて邪魔をされる千雨。
 再びザジはある方へと指さしていたが、今度は馬車とは違った方向だった。

「オイオイ……まじかよ」

 新たにザジの指の先を目で追った千雨の言葉が濁る。
 千雨の視線の先にあったのは、劇が始まった直後に逃げ去った二人が、城の上で大鬼に矢で狙われる姿だった。

 橋の上の人形とは違って可愛げのない大鬼と大弓。それだけに、コレは劇の筈なのだがまずい物だと千雨は直感で感じていた。

 そして、その一瞬後に全てが起こった。

 

 

 

 

「チッ……」

 イラつきが露わに出た舌打ち。それを出したのは、真っ黒の黒子の姿に西洋の剣を持った者だった。

「ウキャ!?」

 黒子が大猿の頭を踏みつけて、着物姿の二人の少女の前へと立つ。
 握る剣は構えたまま、その切っ先を自分と同じように城の上に居る、首を抑えた白髪の少年へと向けて。
 刹那側と白髪の少年側の間合いは、大鬼が刹那らに矢を射ようとした端と端の時と変わらない。

「腕一本でも貰えりゃ儲けもんだったんだがな」

「ケケケ、ハナッカラ首狙ッテタ奴ガヨク言ウゼ」

 黒子の言葉を、黒子の後ろで木乃香に抱かれている人形が拾う。

「……仁さん……?」

 黒子に語りかけようとするのは刹那。自分の目の前で、背を向けている黒子へ向け名を呼んだ。
 こんな格好だけに、声と右の手で少年へと向けている西洋剣ぐらいしか人物を特定する材料がない。だが、それだけでも十分過ぎるぐらいに特定できる材料。
 黒子は刹那に語りかけられても言葉を返さず、振り返りもせず、黙って白髪の少年へ剣を向けたままだった。

 ガシャン、と瓦が音を鳴らす。
 鳴らしたのは、此処に居た誰でもなく、新たに城の屋根へと上がってきた鞘に収まった野太刀を持つ赤衣装の男。

「刀、折ってねぇだろうな」

「そんなヘマはしない」

「アイツは?」

「最低でも30秒程度なら此処に来ない」

 黒子が隣へと降り立った男、衛宮士郎へと言葉を二つ投げ、士郎はそれに一つは当然であると、もう一つは問題ないと答える。

「な、なんなんやあんたらはー!?」

 ここで千草が爆発した。
 後一歩の所で自分の計画が成功した筈なのに、それが全て台無しになってしまったから。それは突然、現れた二人の男のせい。故に怒りの矛先が自分の狙いのお嬢様の前に立ち塞がる二人へと向けられる。

「一度会ってんだがな。っと、オレの顔は見えんか。コッチの男の顔を見て思い出すがいいさ」

「……あ! あの電車に居た……! な、なんでや! お嬢様と何の関係がアンタらに――!?」

「テンパッテヤガンナ、ケケケ」

 黒子と士郎に指さして慌てふためく千草。黒子の中身も顔が見えずとも誰なのか予想がついただろう。
 二人の男とお嬢様の関係性。冷静ならば、守り守られる者、裏の世界に関わっているものだと千草もすぐに分かるものだが、二人の出現は唐突過ぎた。冷静になれる筈もなし。

「ギャラリーも多いコトだ。ここは互いに引くのが賢明な判断だろ」

 対する相手へ言葉を吐いてから、一言「去れアベアット」と呟いて、剣を収める黒子。
 城下の橋に居る観衆が城の屋上の様子を見ている。さらに劇と銘打って参加したクラスメイトも、さっきまでのじゃれ合いが終わって、周りの観衆と一緒になって見ていた。

 千草から黒子へと言葉は返ってこない。
 白髪の少年も首を抑えたまま、黙って二人の男を見ていた。

「仕方ねぇ。士郎、後ろ頼むぞ」

 黒子が刹那と木乃香の後ろに回って、彼女達の腰へと腕を回す。その右腕には刹那を、左腕には木乃香を。

「ああ、任された」

 士郎の言葉を受け取った黒子は、二人の姫姿の少女を抱えて城から飛び降りた。

 城の上へと残ったのは士郎、千草、白髪の少年、大鬼と大熊の式神。
 夕凪を持つ衛宮士郎は黙々と自分を見る敵に、睨みを一つ利かせてから黒子の後を追った。

 残ったのは、自分の下から去る者を呆然と眺めている千草と式神。表情を変えずに千草らと同じ者を、自身の眼で捉えている白髪の少年。
 そして、危機にあっていた姫二人を、さっきまで橋で殺陣をしていた男が助けた事に拍手で送る城下の観衆だった。

 

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――5巻 43時間目――

修正日
2011/3/4
2011/3/15

 空から弓を撃つのはアンコアチャっぽい。

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