41 修学旅行3日目夜・取り戻す為に

 

 

「その呪文は! 確かに効きそうなのは、それしかねぇが残りの魔力でそれを撃っちまったら……!」

「――雷を纏いて吹きすさべ、南洋の嵐’」

 広い湖の中心。長い橋を隔てた20メートル四方の祭壇上の中央で、白い小さな従者が己が主人へと警告する。だが、従者の主人は止まる気などない。
 ネギ・スプリングフィールドの周囲に逆巻く力の渦。ネギは息を切らしながら我が身から放てる最高の呪文を唱える。

「『雷の暴風』!」

 完成した魔法の名を紡ぐ。
 ネギの左手から閃光が奔った。其れが狙うは此処より十五間は離れた先、一つの大岩を囲うように天へと伸びる光の柱。その光の中、大岩から生えるように出現した巨大な鬼だった。
 完全に召喚されきっていない巨躯の鬼。上半身のみが、大岩から生えるように喚ばれている。上半身だけなのだが、それだけでも鬼の体躯は余りに巨大。この鬼と人とを比べれば、人など蟻程度に等しい大きさのモノだった。

「そ、そんな……」

 ネギが叫び、紡いだ言葉の後は、絶望の言葉だった。
 自分が持ち得る最高の魔法、巨躯の鬼の心の臓へと奔った魔法を、鬼は何をする訳でもなく打ち消してしまった。

 ‘リョウメンスクナノカミ’。コレが巨躯の鬼の名称。名の通りに両面。そして、四つ腕の日本古来から伝わる鬼。
 今、現れている上半身だけで10丈を越える体躯が、小さな少年を見下ろしていた。

「くっ……そぅ……」

 辛辣に言葉を吐いて、ネギは項垂れる。自分の無力さ。引き出せる最大の力を持ってしても敵わない相手を前にして。

 床へと手をつけるネギの息は荒い。それも三度の戦闘と、作戦前に自分の従者へ施した契約行使により、体力と魔力を消費してしまったせいである。
 ネギの一度目の戦闘は鬼の大軍。先程と同じ『雷の暴風』を撃っただけで戦闘と呼ぶには相応しくないのかもしれない。
 二度目は狗族の小太郎。攫われた木乃香まで後一歩の所で、杖で飛翔するネギを撃ち落とし、そのまま戦闘となってしまった。コレがネギにとっては痛かった。小太郎を説得しようとも戦いを持ちかけてくる狗族の少年。初めはネギも乗り気ではなく、凌ぐように戦っていたが、小太郎の戦いたいという意志に負け本格的な戦闘になろうとしていた。しかし、結果は第三者、長瀬楓の乱入でソレは発生しなく、楓の説得でネギは木乃香の下へと行くコトが出来た。それでも此処で幾らか使った体力と魔力が今に響いている。

「善戦だったけど、残念だったね」

 パリン、とガラスが割れる音に近い音がネギの耳へと届く。
 ネギが後ろへと振り向けば、そこには白髪の少年。彼と戦ったのが三度目。自身の考えた奇策と、自身に供給する無茶な術式の魔法で彼を一時の間、抑える事には成功した。
 しかし、その後は今の結果の通り、巨躯の鬼が現れ、自分が助けようとした生徒は鬼の肩に構えている天ヶ崎千草が捕えている。

 遅かった。一歩も二歩も足りなかったと、ネギは歯を食いしばり握りこぶしを作っていた。
 だが、ネギの中に戦う意志は未だ健在している。助けなければならない。自分が其れを任されたのだから、何が何でも大切な人を取り返さなければならない。
 ゆっくりと近づいて来る無表情の白髪の少年に向けて、己の杖を向ける。

「殊勝だね。でも、もう遅い。いや、よく頑張ったかな」

 称賛の言葉であれ、依然と、仮面を被っているように白髪の少年は顔を崩さない。

「……君は殺しはしないけど――」

 言葉を切って、白髪の少年は横へと飛んだ。

「おや、君は……」

 トン、と軽い音を鳴らし、祭壇の中央から端へと降り立つ白髪の少年。
 少年の冷徹な目に映るのは、野太刀を構え、ネギの前に立つ少女だった。

「せ、刹那さん……!」

 自然に近い形で、ネギから名を呼ぶ声が上がった。

「ネギ先生、大丈夫ですか?」

 安否を問う刹那。背後の少年が、今にも倒れて気を失いそうな程に息を切らしていたから。だが視線は白髪の少年からは外さない。刹那は、この白髪の少年を一度見ている。その時に感じた畏怖に似たモノ。少年と再び相対した今、意識を外す訳にはいかなかった。

「僕は大丈夫です。それよりこのかさんが」

 ネギが答えたのは気力だけのもの。苦しい表情で、息切れをしていても強気に言葉を吐く。満足に動ける訳でもなく、説得力などない言葉。それでも弱音だけは吐くまいとするネギ。

「面倒だね――」

 白髪の少年が刹那へ向け片手を掲げる。
 動く少年の手に反応するように、踏み込むか踏み込むまいかと足に力を込める刹那。
 刹那にとって祭壇の中央から、白髪の少年が居る端へは、一秒も掛からずに踏み込める間合い。しかし、自分の後ろには、満足に動けない少年が居る。白髪の少年の出方によって、自分が攻めるのか、逃げるのか、と受けに回り行動を決めるしかなかった。

「――そうだ。君達はシロウと青髪の男……君が確かジンと言っていたね。この男達について何か知っているのかい?」

 無感情の声が刹那とネギの耳に届く。
 何の変哲もない質問の内容。白髪の少年が挙げた彼らは、質問を受けた少年にとっては自分達の生徒、少女にとってはクラスメイト、というだけで知っているというコトになる。
 しかし白髪の少年が言うのは、そんな世界の話ではなく、違う観点のモノ。彼らが如何なる存在であるか。根本的なモノ、他人には教えるべきではないモノ全てを探ろうとしている。
 だが、そんなコトを敵だと理解している者が言う筈がない。例え知っていようが知っていまいが、問われた二人は口を閉ざすだけの事。

「桜咲刹那、君は何か知ってそうだね。教えてくれると嬉しいけど言う気がないのなら力づくになるよ」

 何故感付かれた……? 名指しされた刹那が思う一言。微かな反応があったのか、何処かに違和感あって判断したのか、と刹那は相手の目を見るが、白髪の少年の無感情な目は何も語りはしない。

 確かに自分は、つい先程、白髪の少年が上げた男性の一人、防人仁から話を聞いた。とても信じられぬ話を。それが真実であると自分の中で結論を出すに至ってはいない。だが、それはこの白髪の少年に決して話してはいけないコトであるのは分かっている。
 動揺は焦りを生む。必要なのは打ち勝つコト。足を引っ張るモノがあるのなら振り払うしかない。

 ――桜咲刹那は、前へと踏み込んだ。

 刹那は己が持つ、一振りの刀を振るう。
 狙うのは少年の足。其処を削げば、機動を落とす事にも成り、効率面に関してよかった故の判断。最終目標は少年を降すコトではなく、別のコトなのだから、コレは最適の狙いだった。

「……っ……!」

 だが、刹那の横に払った夕凪の一振りを、少年は紙一重で躱してみせた。
 最適の狙いだろうが、当たらなければ無意味と成る。刹那は白髪の少年を、たったの一振りで降せるような甘い敵ではないと分かっていた。だから追う。確実に相手を打ち降す為に。

 刹那が払う夕凪の二振り目。更に踏み込み一振り目の刀を戻すように払う。狙いは同じく少年の足だった。

 刹那は甘くないと判っていた。単純に一振り目は力が足りなかっただけだと。
 もし桜咲刹那が一度、白髪の少年と仕合っていたのなら、結果は変わっていたかもしれない。観光所の城の屋上で見ただけでなく、しっかりとした形で、衛宮士郎が近衛家の浴場で少年と戦ったように、刹那自身が少年と戦う事が出来ていたのなら。

「かっ……あ゛っ……」

 嗚咽の声。桜咲刹那が吐いたモノ。
 白髪の少年が紙一重で躱したのは、刹那の剣速が疾く、ギリギリだった訳ではない。最適の状態で反撃するために、紙一重で回避したのだ。

 華奢な少年の振るった拳で、華奢な少女が吹き飛ぶ。意図も簡単に祭壇から、周囲に広がる静かに波立つ湖へと。

 ――だが、少女に掛かる空間の中に在った宙を走るベクトルが突然と消失する。

「白い……翼……?」

 驚くように呟く声は、満足にも動けぬ赤髪の少年から。

 その瞳に映るは、少年が出した言葉通りの白い翼。

 元から在ったかのように、刹那という少女の背から広がる大きな翼。

「……烏族……いや、ハーフか」

 空に留まった少女を見て、理解したかのように呟く白髪の少年。相手が何であろうが関係ないと、未だ無感情のまま相手を見据えていた。

「私は……負ける訳には行かないッ!」

 血が滲むように吐き捨てる刹那の言葉。
 地を走るではなく、空を翔ける。刹那の反撃は、人ならざる力に依ってのモノ。
 死力を尽くす。今の刹那に、ピタリと一致する言葉。

「――残念、今のお前の相手はソイツじゃない」

「っ――――」

 白髪の少年の耳へ言葉が届くと同時に、投げ飛ばされた。一瞬の内に文字通りのソレが起こった。
 尖った言葉を吐いたのも白髪の少年の襟首を掴んで投げたのも、翼を持つ少女、疲れ果てた少年のどちらでもない。突如と介入した第三者。

「折角、不意つけたんだから斬るべきだったか」

 右の手に西洋の剣を。

「いやしかし、浮遊術ってのは厄介だねぇ」

 その口から出る軽い言葉は、先程刹那が宙に留まっていたように浮かぶ白髪の少年へ。

 白髪の少年とは向き合い、ネギからは横顔が、そして刹那の眼には青髪の後ろ姿が映っていた。

「刹那。ネギ連れて一旦離れてろ」

 刹那は、一瞬迷いはしたが、男の言う通り、祭壇に膝をつけているネギを抱えて退く。二秒足らずで祭壇から橋の中央へ、介入した男と白髪の少年からは、声も簡単に届かない距離まで大きな翼を用いて全力で退いた。

「仁さんは……」

 静かに橋へ降ろされたネギが、突如乱入した男の名を上げ、誰かに訊くように声を出した。ネギの眼は、湖上の宙に浮かぶ白髪の少年と、祭壇でソレを見ている防人仁を見て。

「彼は――」

 その訊こうとした事に答えられるのは、ネギ自身か、ネギの肩に乗る小動物か、此処までネギを運んできた刹那。そして、答えようとしたのは刹那だった、が――

「ネギ! 大丈夫!?」

 新たに介入する声に阻まれる。片手にハリセンを持った橙髪の少女によって。

「ええ、僕は大丈夫です、アスナさん」

 さっきも一度、別の人から同じ言葉を訊いていたネギは、同じように返す。その相手は、
自分を支えるように屈んで心配を掛けてくれている、神楽坂明日菜。

 ネギの状態は、巨躯の鬼へ最大の魔法を撃った時よりは良くなっていた。だが、それでもまだ息を切らして汗を流しているのは変わらず、強がっているとしか取れない。そんなネギを見る質問者のアスナが返ってきた言葉を素直に受け止められず、心配な顔のままなのは当然である。

 私がネギに出来る事は、と思案するアスナ。
 しかし、考えても碌な案も出て来やしない。自分に可能なのは声を掛けるぐらいだと。後は自分の親友が未だ捕まっているのだから、自分が代わりに助けに行くという案ぐらいだった。

「刹那さ……ん……?」

 アスナは当初の最終的な目的を果たす為、出てきた案の一つを成す為に、傍に居た友人からも手伝ってもらおうと名を指した所で、疑問符が上がった。
 その友人を見れば、背から白く大きな翼を生やしていた。翼は上着のワイシャツが邪魔かと言いたそうに、前を少しだけ捲り上げてヘソを覗かしている。この翼は最近になって理解し始めた魔法の一種なのか、という考えが真っ先にアスナの頭に浮かんだが、どうやらそうではないようだ。自分が見上げている相手、つい何時間か前に名前で呼び合うようになった相手が、バツの悪そうな顔で自分を見ていたのだから、直感的に違うのだと思った。

 刹那は答えない。答えるにしても言葉が見つからなかった。他人には決して教えようとしなかった事。
 もし知られたのなら、自分の生まれの掟に従い其処から離れなければならない。
 それは、とても哀しいと。自分が幼き時から慕っている大好きな人と離れる事になるから。
 そして、とても苦しいと。自分の本当の姿、人とは掛け離れた姿を見せる事になるのだから。

 ――それでも今は、大好きな人の為、我が身を賭さねばならないと決断した。心の底から、その人を助けたいと願ったのだから。

「あ……」

 刹那の耳に音が届いた。床を蹴る派手な音。
 声を上げたのは刹那だ。だが、音にビクついた訳ではない。声を上げたのは、音を鳴らした張本人と目が合ったから。会話をする訳でなく、音が鳴る前に視線が本の一瞬交差しただけ。
 そして、彼は白髪の少年へと剣を持って立ち向かって行った。

「私は――」

 刹那の内に秘める想い。それは大好きな人を助けたいとは別の想い。

 一歩だけ前へと。その人の下へ歩む。戸惑う心を押しのけるように。

「――私は……河川で会った奴らと同じ化け物です――こんなに醜い姿をした……」

 震える声は、自分の背に居る友人と先生に向けたモノ。そして――

 

「――それでも私を受け入れてもらえるでしょうか」

 

 アスナ達からは刹那の翼の生えた背しか見えない。彼女がどんな表情で、どんな想いで、ソレを語ったのかは見る事が出来ない。

 アスナが思うのは過去。一度「化け物」だと、刹那に対してではないが、小太郎という狗族のハーフの子に対して言ってしまった。その時は刹那が直接居た訳ではないが、刹那の式紙が居た為に刹那にも伝わっている。
 思い返す、刹那の式神が申し訳なさそうに謝罪していた事を。
 あの時は、ただ厄介だから、つい言葉を零してしまっただけなのに。相手に嫌悪が在った訳ではなく、単純に面倒だからと。それでも、目の前の人に対しては、その一言がどうしようもなく不安にさせる言葉であると判ってしまった。

 では、自分は彼女にどう返せばいいのかと。

「せいやっ!」

「――ふあっ!?」

 思い立ったアスナの行動は、言葉ではなく、打撃といった返答方法。
 アスナによって投げ飛ばされた白い物体が、刹那の頭に綺麗にヒットして快音を響かせていた。
 不意に食らった衝撃のせいで、気の抜けた声を上げて揺らめく刹那。余りに唐突過ぎた為、そのオカシナ行動を取っただろう相手に向けて困った顔で見合わせる。

「いやー、こんなんだからアイツにもバカにされるのかな……」

 対してアスナも気まずい表情で、独り言のように呟いていた。
 アスナの胸の内では、刹那に謝罪をするべきか迷っていた。だが、自分の頭では気の利く謝罪なんて出来やしない。だから自分なりの返事をと、行動で示した。

「受け入れる? そんなの当たり前じゃない!」

 後は、問われたのだから素直な気持ちで相手へと答える。

「なんたって友達よ、友達!」

 腕を組んで、うんうんと頷き自信満々に言葉を続けるアスナ。

「あと、刹那さん……」

「え……」

 アスナが名を呼び掛けると同時に、白い大きな翼を潜り、刹那の真ん前へと出て、がっしりと翼を背に生やした人の肩を掴む。
 刹那が一歩前へと踏み出してから、刹那とアスナが顔を合わせたのは、コレが最初。アスナは眉根を寄せて刹那の目を見張っていた。アスナが見ている目は、潤んだ瞳。そんな相手にアスナは軽く微笑む。
 それにアスナが思うのは、いつもは気丈に振舞っていても、やっぱりこの子も女の子なんだなと。

「同じ性別の私が言うのも問題かもしれないけど、ちょっと鏡見た方がいいと思うよ。うん、間違いなく刹那さんは可愛い部類だから」

 アスナは微笑みを浮かべたまま、嘘偽りなく言葉を連ねる。それは日常で友人と話すのと同じ、極普通の気兼ねもない言葉。

「むぅ……本物の羽ね……」

「えっと、アスナさん……?」

 パタパタと、刹那の羽を軽く触れたり、両手で挟んだり、それが実体のモノであるのかと感触を確かめるアスナ。
 自分が翼に触れれば、翼の持ち主が声を上げる。別の箇所へと触れれば、またも反応するように声を上げる刹那。アスナは、本物なんだと思いつつ、刹那の表情を確認しながら好き勝手に翼を触っていた。

「私はカッコイイと思うんだけどな……」

 触れるのに満足したのか、翼から手を離して、ぽつり、とアスナが言葉を漏らす。

「僕はキレイだと」

 それを拾うように、刹那の後ろからネギも言葉を漏らした。

「む、マセガキね」

 アスナがムッとした顔で、からかう様にネギへと言う。
 こんな対応の仕方だが、今のネギの馬鹿正直な褒め言葉はありがたいものだとアスナは思っていた。

「飛べるのよね?」

「……はい」

 改めて相手へと確かめるアスナ。
 刹那の返答は、アスナが初めから思っていた通り、そうだというもの。

「じゃあ、このかは……刹那さんに任せるしかないか」

 アスナが振り返って見上げる。視線の先は巨躯の鬼。その肩に居る自分の友人を攫った敵と攫われた友人を見ていた。

「ほら、幼なじみのこのかを助けに行くんでしょ。このかだって刹那さんを待ってるんだから早く行ってあげて」

 アスナは振り返った視線を刹那へと戻して、言葉を送った相手の肩をポンと叩く。
 私では、湖を超え、あんな高い場所に行くのは難しい。翼を持つ友人に攫われた友人を助けてもらうしかなかった。情けないが、頼れるのは彼女だけ。お願いするように、アスナは刹那へと言葉を送っていた。

「このかもきっと私と同じ――ううん、私以上に、刹那さんは刹那さんだって言って、何もかも引っくるめて好きだって言うと思うよ」

 アスナが浮かべるのは屈託のない笑顔。心の底からそうなんだと、そこに嘘があるとは全く感じさせないほどの笑顔がそこに在った。
 刹那は、そんなアスナに言葉を返そうと口を開くが、すぐに閉じてしまい、俯いてしまう。

「貴方の―――――でした」

「え――?」

 刹那から声が聞こえた。しかし、至近距離にいるアスナでも、ほとんど聞こえないほどの声。恐ろしいぐらい耳が良いアスナでも聞き取れない程の声量。

「いえ……」

 何でもないと、俯いた刹那から単純な一言。

「……ありがとうございます」

 そして、顔を上げて笑顔で刹那は応えた。
 礼を向けた相手は、目の前の少女だけではない。ただ、今までの想いを振り切ったように、刹那が笑顔を浮かべていた。その目には、安心したせいなのか一層と涙を溜め込んで。

「うっ……ほ、ほら、早く行った行った。話は後でゆっくり話しましょ?」

 正面から堂々と礼を言われたアスナが顔を逸らして頬を少し染める。早く友人の下へ助けに行って欲しいと、手を振って。
 そんなアスナの恥ずかしいと、誰にでも判るような態度を見て、刹那がくすりと笑い、小さな声でもう一度「ありがとう」と礼を上げていた。

「では――行ってきます」

 刹那は言葉を置き、白い翼を広げ、木乃香を救い出すために空を翔けて行った。

 見る見る内に遠のいていく刹那を、アスナ達は見つめている。
 だがそれも少しの間だけで、すぐに視線を仁と白髪の少年へと変えた。

 アスナ達の視線の先、祭壇上で繰り広げられる仁と白髪の少年の戦闘。片方は剣を握り、片方は無手。
 アスナ達が話し合っている間も祭壇上の戦闘は続いてはいたが、激しい組みあいや打ち合いなどはなく。互いに様子見がほとんどであった。最初こそ仁が仕掛けていたが、その後は迎撃態勢を取り、白髪の少年が放つ石の杭を、仁が己の手の中にある剣で叩き落とすというのが大方の内容だった。

 ガンという音が四つ。音の正体は石の杭が剣に叩き落とされた音。
 向かってきた杭全てを叩き落とした仁が、祭壇上から橋上のアスナ達の下へと大きく後退した。

「やっとお話が終わったか。頑張ってるコッチの身にもなって欲しいぜ」

 愚痴を吐きながらも満足そうに言葉を連ねる仁。

「ってか、アンタいつの間に私を追い越したのよ」

「そ、それより、姐さん……足離して欲しいっす――」

 自分の背に居るアスナの問いには、軽く笑い飛ばすだけで済まそうとする仁。
 一方アスナは、自分の片足の下敷きになっていたカモを解放して、背を向けているコイツが答えないのなら別に二度まで訊く必要はないと考えていた。
 二人は互いの事よりも、前方からゆったりと歩み寄って来る白髪の少年へと注意が向いている。

「さて、坊主。お前はオレ達の正体を知りたい。オレはお前が何故オレ達を襲ってきたのかを知りたい」

 仁が、まず、と歩み寄って来る白髪の少年へと言葉を投げる。

「しかし、オレはオレ達の正体を教える訳がねぇし、お前もオレが知りたい事を言う気はねぇだろう」

 剣の切っ先を白髪の少年へと向けて、威嚇するように言葉を続ける。

「まぁコレは良い。じゃあ、次だ。実の所、お前の相手はオレでもない」

 この仁の言葉で、ピタリと、残り7メートルの間合いで白髪の少年が止まった。

「では誰か? オレじゃないとしたらもう決まってる。そんなのは言わんでもテメェも判ってんだろ」

「ネギ・スプリングフィールド? 少なくとも君が僕と戦った方が勝率は高いと思うけど」

 表情をほとんど変えない白髪の少年の表情が僅かに歪む。
 この男は何を言っているのか、今の言葉に何の意味が在るのかと、剣を自分へと向けている男に蔑むような眼で返答していた。

「さすが優等生ぼっちゃんは言うコトが正直だ」

 相手の対応が対応ならばと、仁が喧嘩を買う様に乱雑な言葉を返す。

「それもオレがお前に勝てる確率は低いと。そんなのは今、戦ったオレが判ってる。しかし、後半のソレは本当にそうかな」

「ちょっと仁! ネギ、一人に戦わせようなんて――」

 アスナが目の前で起きている白髪の少年と級友の会話を聞き逃す訳にはいかなかった。
 級友が自分の後ろで、橋に手をつけて疲れきっているネギを戦へと放り込もうとしていたのだから。満足に動けないのに戦わせるなんて論外だと。

「おっと、オレは“オレが戦わない”と言っただけで、何も“ネギ一人に戦わせる”とは言ってない。そう言ったのは、そこの白髪坊主だ」

 それでも防人仁という男はネギを戦わせようとしていた。それもアスナが思っていたモノに条件を一つ加えた形で。

「まさか――」

 すぐに、その条件が何であるかを察知したアスナ。
 それならば判らなくもない。元々自分もそうしようと思っていた事なのだから、すぐにアスナは気付けた。だが、それでも納得は出来ない。目の前の背を向けている男は、戦う力を持っていながら手を貸そうとしていない。ネギはこんな状態なのに、そんな冷酷な事をするような奴だったのかと。

「気付いて何より。さて、オレが伝えた言葉を覚えているか?」

 アスナの視線に気にする事なく、背に居る少年へと向けて仁は話す。

「……はい、しっかりと」

 ネギは、それに素直に答えるだけ。過去に聞いた事を思いだしながら。

 ――道を切り開きたいのなら、己と信頼の出来る従者を頼り足を進めよ。目指す地もなく、死ぬのが嫌なら素直にオレ達を頼れ。

 それは、仁が士郎に伝え、士郎が刹那に伝え、刹那が式神を通してネギへと伝えた言葉。
 西の総本山へと来る前に、小太郎とネギ、アスナ、カモが戦っていた時に聞かされた言葉だった。

「如何に――?」

 仁が堅苦しく問う。白髪の少年へと剣を向けたままの姿勢で。

 ネギは答えない。迷っている為に、仁の問いに答えられなかった。自分が任せられ、頼られたのに、今は頼っているだけ。魔力も切れ、体力も切れて、自分では思う様にも動けないのだから頼るしかなかった。
 しかし、誰に頼ろうとも優先目的は自分の生徒を助けなければならないのは変わりない。だから迷わずに、目の前の人にも助けを乞うべきだ。間違いなく自分より腕が立つのだと。この人と白髪の少年との先程の会話を聞いて理解出来ているのだから、それは大切な人の奪還に直結する。
 だが、こうまで思っておきながら、ネギは仁の問いにすぐに答えられずにいた。

「っ、いいわよっ! 私達だけでやればいいんでしょ!」

 答えたのはネギではなく、ハリセンを構え直したアスナだった。ヤケクソ気味に、今にも理不尽な問い掛けをした目の前の男を叩こうと言わんばかりに答えた。

「アスナさん……」

 ネギがよろり、と杖を魔法の杖としてではなく、普通の杖と同じように扱って立ち上がる。魔力と体力が無かろうと、戦う意志はあると。振り絞るように自分の身体を奮った。

「そうか――そうだな、アイツに一発でも入れられたら上出来だ」

 仁が白髪の少年へと向けた剣を降ろす。
 一度も顔を合わせる事なく、アスナとネギと会話をしていた仁。

「健闘を祈る」

 仁の置くような言葉と同時に投げる二本のナイフ。言葉はネギとアスナへ。ナイフは白髪の少年へと。

 仁は一息に大きく後退する。戦いから我が身を退く為に。
 白髪の少年は、自分に向かってきた二本のナイフを、同じ数だけの石の杭で容易に迎撃する。

「やあぁぁぁぁ!」

 掛け声を上げて、馬鹿正直に前へと突っ込むアスナ。
 白髪の少年とアスナ、ネギの戦闘はすぐに始まった。

 ネギとアスナに作戦などない。策を練ろうにもネギは満身創痍で出せる札など残されてなく、あるとしても意地という意識でしか立ち向かうしかない。それに、アスナは元より意地で参戦した身。

「一発くらいなら、私だって――ッ!」

 アスナが声を張り上げ、剣に見立てたハリセンを振り上げる。
 型という立派なモノでは無く、単純過ぎる動き。

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル、風の精霊――」

 ネギが唱えるは、雷の魔法の射手。アスナが白髪の少年へ向かい始めてすぐに詠唱に入っていた。

 ――アスナは自身が携える得物を振り切る。
 少年の顔を狙い、言葉の通りに一発でいいから全霊の力で叩きこもうと。

「――へ?」

 間の抜けた疑問の声はアスナから。
 ハリセンが音を鳴らしたのは風を切る音だけ。命中した時のハリセン特有の快音も無く、アスナの全力が空を薙いだだけだった。

 白髪の少年が居ないと、アスナが思うのは、この一つ。
 振り切る前まで、自分の目が捉えていた少年が一瞬の内に消えた。

「――っ……ぐっ……」

 体の軋む音がネギの耳へと届く。音の出所はネギの身体から。白髪の少年が七間もある距離を一瞬の内に詰めて、ネギの背後からネギの脇腹へと拳を叩き込んでいた。
 完成させようとしていた‘魔法の射手’は途切れ、ネギの体が簡単に宙を飛ぶ。

 白髪の少年を見失っていたアスナの反応は早かった。すぐに白髪の少年が背後のネギの下へ回って居たコトに気付き、方向転換は出来ている。

「ネギ――っ!」

 アスナが声を上げ、ガシリ、と自分の方へと飛んできたネギを体全体で受け止める。

 ――面倒だね。

 二度目に渡る、この言葉。白髪の少年はあの時と全く同じ姿勢で、今しがた殴り飛ばした方へと手を掲げる。

「ヴィシュ・タル・リ・シュタル・ヴァンケイト――」

「な……っ! 始動キー!? 兄貴、アイツ西洋魔術師だ!」

 ネギの肩に掴まっているカモが小さくも吠える。
 始動キー。西洋魔術師が魔法を行使する際に必要になる、術者個人によって異なる前節。韻の踏み方で看破は容易かった。

 ネギはカモに言われるまでもなく、白髪の少年が独特な言葉を紡いだ時点で西洋魔術師だと気付いていた。それ以前に白髪の少年が西洋魔術師ではないか、と疑っていたのだから気付いて当然だった。障壁、石の槍、西洋魔術師だと疑える材料は、我が目で見て来ていたのだから。

「‘小さき王、八つ足の陽炎――」

 白髪の少年が呪文を紡いでゆく。
 この初節を聞いてネギとカモがある事に瞬時に気付く。初めの詠唱の音は“バーシリスケ’。気付いた一人と一匹の良く知る言葉へと直せば‘バジリスク’。多くの伝承が在る蛇の王の名。その中に総本山で発生した一つの現象と一致するモノが存在した。

「石化呪文です! アスナさん、逃げてください……っ!」

 ネギが自分を支えてくれている人へと懇願する。
 敵との距離、そして自分のこんな体では、満足に白髪の少年の魔法を回避できないと判断した。
 コレは決して諦めではない。大切な人を守るための決心。魔法使いであるが為に危機を理解できた自分が、今、白髪の少年に対して可能な唯一の抵抗。

「石化……!?」

 白髪の少年が唱えているモノは魔法なのだと、すぐにアスナも理解出来た。それに今のネギの言葉で、白髪の少年が何をしようとしているのかの全てが理解出来た。
 アスナは屋敷の中で、その光景を見ている。人が石と化して固まった光景を。屋敷から出る直前に見た友人達が石と化した光景も。

「――眼差しで射よ’」

 白髪の少年が伸ばす右腕。その切っ先の二本の指が指すは、自分に楯突く少年と少女。光り輝く二指は、魔法の完成を告げようとしていた。

 アスナは動く。詠唱が終わる前に。
 ネギの言いたい事は理解出来ていた。コイツはそういう奴なんだと、知りあって数か月足らずだが、分かり始めている。そんなネギの思いは無駄に出来ないと、支えていた少年から離れた。

「『石化の邪眼』」

 冷たく紡がれ、ソレは完了と成る。白髪の少年は己れの右腕を横に薙ぐ。其れは完成した魔法を敵へ浴びさせるが為。
 少年が完成させた魔法は、右の二指から伸びる光の閃光。一瞬で伸びた光の線は、容赦も無しに振るった腕と同じ軌跡を描いた。

「こんっのぉぉぉ――ッ!」

 だからと言って私が逃げる訳には行かない。例え、その魔法が脅威だろうと立ち向かう。
 アスナが取った行動は退くではなく、進むだった。ネギより前へ。今、コイツを守れるのは自分だけ。

 閃光と同じ軌跡で、アスナの武器は振るわれた。
 それは対抗できるモノなどコレだけだと、最初から変わらない、ただのがむしゃらな動作。契約行使も元々掛かっていた防御のみに特化したモノなために、普通と何ら変わらぬ一振り。

 だが、そんな一振りで十分過ぎた。閃光の軌跡は同じ軌跡を描いたハリセンによって消される。初めからアスナ達には届かなないモノだと言わんばかりに、一撃で誰をも行動不能にする魔法が消失した。

「魔力完全無効化能力……?」

 誰にも届かない程に、ぽつりと呟く白髪の少年。それは、今発生した現象を見たせいで出てしまった言葉。

 少年の姿が今居た其処から消える。
 初めにアスナが見失った時と同様の動き。それは魔法と言うよりは技術。この世界の白兵戦において必要最小限の技術であると同時に、使う者によって格段の落差が生じる幅の広い戦技。

 白髪の少年は邪魔物を叩き伏せるが為に、全力をもって神楽坂明日菜という少女に狙いを定めていた。
 アスナは白髪の少年が自分を狙った事になど、まだ気付いていない。次に白髪の少年の存在に気付く時は、確実に倒される時。何故ならアスナの視界から、白髪の少年が消え去った事でさえ気付いていないのだから。

 ――ほら、言った通りだ。オレより勝てねぇなんて事はねぇんだよ。

 声が通る。誰にも聴こえないその声は、起きた事の全てを簡潔に語っていた。

 白髪の少年の眼が見開く。反応する所か、動く事すらできまいと思っていた少年に、自身の拳が止められた。無茶な術式、酷く未熟なソレを使って、二度も予想外の行動を取られてしまった。

 快音が夜空に響いた。ふざけた約束を果たすように。

 

<<BACK  NEXT>>

TOP  SUB TOP

――6巻 49、50、51時間目――

2011/3/4 最終修正

 再構成風。

・原作魔法:石化の邪眼
小さき王、八つ足の蜥蜴、邪眼の主よ。その光、我が手に宿し、災いなる眼差しで射よ。『石化の邪眼』
<バーシリスケ、ガレオーテ、メタ・コークトー・ポドーン・カイ・カコイン・オンマトイン・ト・フォース・エメーイ・ケイリ・カティアース・トーイ・カコーイ・デルグマティ・トクセウサトー カコン・オンマ・ペトローセオース>

 バジリスクは「王侯」という意味らしいです。

inserted by FC2 system