42 修学旅行3日目夜・始まり

 

 

 迷いは断った。後は助け出すだけだ。
 高く、天へと。巨躯の鬼よりも空に。背に在る白い大翼を羽ばたかせ、桜咲刹那は空を翔ける。

 巨躯の鬼よりも高い位置で、一度空に体を固定した。そして、目視するは己が敵と守る対象。敵は下の者に興味を失せたのか、最終目的である鬼の制御に必要な詠唱へ集中している。

 敵を打倒し、大切な人を取り戻す絶好の機会――

「ん……ひよっこか」

 だったのだが、鬼の主の黒い眼が近づいていた刹那に気付き、見上げ、言葉を吐く。

「翼……成程、ハーフやったって訳か」

 一目見て、白髪の少年と同じように相手の正体を見極めた千草。
 だが、幾ら正体を掴もうと、自分がすべき事は変わりないと刹那が思う。そして、思うままに翼持つ少女が空を走った。

「――捕えて終いや、ひよっこ」

 千草の突き出した右の人差し指が、タクトを振るように左へと払われる。その動きをなぞるように、巨躯の鬼の湖に沈んでいた右腕が動いた。鬼は眼前に羽ばたく白い烏を、全力で捕獲しようと腕を振り上げる。其れはむしろ、捕獲どころか、刈り取る様な速さ。

「む……っ」

 千草の顔が僅かに歪む。捕えようとした白い烏は、ひらりと巨躯の腕を躱してみせた。その動作で付いた勢いを殺さず、烏が千草へと飛ぼうとする。
 だが、千草は確信した。速さは、烏が舞うよりも巨躯の鬼が振るう腕の方が確実に上だと。

 千草が振った指を戻すように、振り払う。
 次に烏を捕えようとする巨躯の鬼の腕は、湖に沈んだ左腕。初撃に振り上げた右腕を引き、初撃よりも速度を上げて左腕の脅威を振るう。

 しかし、またもや白い烏は回避してみせた。

「チッ……」

 舌打ち、右の手を広げ、腕を一気に振り降ろした。
 お嬢様の力で鬼を完全に制御しているのに、たった一羽も捕える事が出来ない。圧倒的な力を持つ自分が、ひよっこ一匹にあしらわれて苛立つ感情が猛ると。

 巨躯の鬼の腕全てが動く。鬼の腕は全部で四本。捕えようとした二振り目の腕も引っ込め、逃がす隙も作らんとばかりに四本の腕が同時に動いた。振るう軌跡は、千草の感情を体現するようが如く、目前でチラつく敵を叩きつけるように。

「なっ――猿鬼、熊鬼……ッ!」

 千草の眼前に現れる二体の式神。主を仇成す刃から守るように、其れが喚ばれた。
 不可避の筈が、白い烏は三度に渡って回避した。巨躯の鬼の圧倒的な速さの腕を掻い潜り、我が前へと迫った翼を持つ少女。

 自分が鬼を扱いきれてないのか、いや、そうではない。自分は烏よりも速く操作していた。お嬢様が居る今、鬼神は完全に我が手中に在る。千草が、こう思っていても、桜咲刹那という少女を捕らえられなかった事実は事実。此処まで烏に攻め込まれたのなら、巨躯の鬼の力は使えない。信頼する護鬼と符で打倒するしかなかった。

「ふ……そんなにお嬢様が大切なんか?」

 猿と熊の鬼の背後で、刃を止められた剣士を嘲笑う千草。

「はて、そない人を外れた姿に助けられてお嬢様が喜ぶと――」

「貴様の言葉で、私が揺らぐと思うか?」

 千草の言葉を遮る声は、鬼気迫る勢いで。

「何よりも、お嬢様がそんな事を思う訳がない――」

 信じる者は、貴様ではないと。

「返してもらうぞ、天ヶ崎千草ッ!」

 一閃。夜空に浮かぶ月下の煌きが、千草を守護する護鬼を還す。

 噛み締める声が千草から上がった。我が護りを一太刀で破る程の相手。敵は強いと認めていた。だが、あと一歩。積み上げた力が頂きに至る寸前の所。至らせる為の鍵を渡す訳にはいかない。

「――‘ヴァータ’」

 千草は自身の内から呪符を指二本で拾い上げ、発した言語は風の意。呪符に込めた力は、言葉通り風の力。烏を引きはがせば、もう一度鬼神を遣える。今度は、完全に烏を叩き落とすと。

 しかし、呪符は何の効果も示さなかった。風の言葉が虚しく通るだけ。それもその筈、肝心の力を発現させる呪符が、空を走った匕首に真っ二つに切り裂かれていたのだから。
 呪符が破れたのは、千草が取り出したのと同時。千草が気付く暇も無し。

 野太刀の峰が千草の頭を弾いた。

 雌雄は決した。勝ちを掴んだのは翼持つ少女。勝利を掴んだ証として少女が抱きかかえるは、囚われていた姫、近衛木乃香。敗者を余所に、桜咲刹那は巨躯の鬼の腕でも届かぬから所へと最速で離脱した。

 やっと大切な人を取り返せた、と歓喜と安堵する刹那。だが、この腕に戻ってきたとは言え、安心してばかりも居られない。儀式に利用された為か丸裸の友人の身体は、外傷こそないが、この儀式のせいで身体に異変があってもオカシクはなかった。
 まず抱えている人に意識がない。すぐに、コレは口に張られている呪符のせいだろうと考えついた。

「‘シャダ’」

 刹那の解呪の言葉。ペリッ、と音を鳴らし木乃香の口に張られていた呪符が剥がれ飛ぶ。
 戒めが解けたお陰か、木乃香の目がすぐさまと反応する。ゆったりと、寝床から起き上がるかのように瞳が開かれた。寝起きのせいか、ぼーっとした虚ろな瞳。

「御無事ですか、お嬢様?」

 刹那が落ち着いた口調で声を掛ける。目を覚ましてくれてよかったと。

「せっちゃん……?」

「はい――お嬢様、傷む所はありませんか?」

「え……」

 うーん、と唸り考える木乃香。

「えっと……ないかなー」

 そして顔を赤らめて照れくさそうに、木乃香が答えた。
 刹那は、この様子なら問題ないと、今度は心から安堵する。

「あ……ウチ裸やな」

「何か羽織る者を探さないといけませんね」

 木乃香の困った顔は、自分の体を見て。決して人前で出られる格好ではない。親友の刹那相手でも、外に居る今、素肌を晒すのは恥ずかしかった。と、ここで木乃香が気付く。外に居るのは分かっていたが、自分が大切な親友に抱えられて空を飛んでいると。

「せっちゃん、その羽は――?」

 刹那の背から生えている白い翼。木乃香は、コレが自分達が空を飛んでいる原因だと気付く。

「コレは……」

 木乃香は自分が何であれ、悪く言う事はないと分かっている。それでも、翼については木乃香にとっても少なからず驚く事は違いなく、どう説明すればいいのかと、刹那は話を切りだせないでいた。

「ううん、キレイな羽やね。せっちゃん、天使みたいや」

 にっこり、と満面の笑みを木乃香が浮かべる。

 ――杞憂だった。何も悩む必要なんてないと。

「ありがとうございます、お嬢様」

 微笑み返すは、刹那。礼の言葉は木乃香に対して。最後に一歩だけ勇気づけてくれた友人に対して。力を使い切っても必死に助けようと頑張っていた先生に対して。
 そして、橋上の一人の人と、目が合った気がした。

 

 

 

 

 

「一発……ッ!」

 どうよ、と言わんばかりにアスナが吠える。あの男との約束を果たしたと。見事に白髪の少年の額へハリセンを決めた感触を確かめるように。ネギが白髪の少年の振るった腕を掴み、抑えてくれたから果たせたと。

「…………」

「うっ……」

 白髪の少年から返ってきたのは無言の重圧に、アスナが思わず息を呑む。
 ハリセンを受けた額の痕、そして睨む眼が反逆を体現していた。だが、アスナはその眼を見て、ただ反撃されるのを待つ理由がない。一発で駄目なら二発と。疲れているにも関わらず、ネギが頑張って抑えてくれる今が絶好の機会。意識を刈るのならば、頭の中を揺らせばいいと唯一分かっていた知識を最大限に生かそうとする。

 しかし、白髪の少年は甘いと言わんばかりに、アスナが振り被った拳を叩く事によって、簡単にハリセンを弾き飛ばした。
 邪魔物は一人であると、白髪の少年はネギの拘束を振り解き、標的をアスナのみに絞っていた。

「――幾らかはマシになったよ、ぼーや」

 賞賛は、尚も食らいつこうと、またもや無茶な術式を無茶な状態で行使していた赤毛の少年に対して。

「っ……ッ――――」

 白髪の少年が新たに張り直した障壁が三枚、風船を針で割るが如く、振るわれた小さな拳が簡単に貫き音を鳴らす。拳は勢いを止める事もなく、白髪の少年の胸を殴り抜けた。

「え……エヴァさん……?」

 赤毛の少年へと賞賛を送り、白髪の少年を一撃で降した介入者の名を、ネギが呼んだ。

 

 

◇◆

 

 

 白髪坊主がパンチ一発で意図も容易くブッ飛ばされている光景を眺める。小柄な少年の身が広い湖を越え、森の中へと飛んでく様を眺めている。
 常識を逸してるというところか。ソレを引き起こした全開状態のアイツを敵に廻すと厄介どころか、死亡エンド真っ逆さまになるってコトを改めて認識させられた。こんな風なコトを最初に思ったのは、一度だけ見れたエヴァの戦闘。初めて別荘に入った日の出来事の一つ。その時の吸血鬼のお相手は衛宮士郎だ。

「結局テメェハ何モシナカッタナ」

 すとん、とオレの頭の上に乗っかってきた人形。

「少しは加わったと思うんだけど」

 足を前へと進めながら返してやる。
 チャチャゼロに言い返した事について、近い所を挙げてやれば今のエヴァだ。オレが一声、虚空に向けて「頼んだ」と、名と一緒に願ったら、タイミングよく白髪坊主の目前に現れた。聞いている否か分からなかったが、エヴァなら聞いていると踏んで、そして爺さんがちゃんとエヴァに掛かっている呪いの精霊を誤魔化したと考えてだ。あの爺さん、やる時は真面目にやるし出来る。
 しかし、あの全開状態な金髪お嬢様のお陰で動けるようになった筈のチャチャゼロ。動けるのにわざわざ頭に乗って来るとは、めんどくさがり屋め。

「皆は?」

「お前の良い眼で見ての通り、みんな無事になりそうだ」

 前方を眺める。あり得ない筈の者からの救援に、驚いている先生と生徒が確認出来る。

 空を眺める。大翼を背から生やした少女が、大好きなお嬢様を抱えている姿が確認出来る。
 一瞬だけ目があった気がしたが、相手の居る場所が天高いせいで本当にそうだったのか確信は持てない。ともかく了だ。アイツが木乃香を救ったのは、最高に良い事だろう。

「そんで、お前さんは何時から来やがったんだ」

 先程、オレへと皆の安否を問うたのは陰陽の剣を携えた赤衣装。別れる前では、まだ三桁越える鬼の相手をしていた筈の衛宮士郎。

「さっきエヴァに拾われてな」

 足並み揃えて答えてくる。まるで知り合いの車にでも乗っかったような言い方だ。エヴァに聞こえたら間違いなく危ないぜ、士郎さんや。

「鬼は?」

「全て還した」

 お次の質問も平然と返す士郎。

「さて、感想でも訊いとこうか」

 オレは衛宮士郎が鬼達と戦う場面など見ていないも同然。知るには、本山に着く道のりで観光所の内容を訊いた時と同じように訊くしかない。
 ただ今回は、頭の上に乗っている奴も途中まで見ていたので幾らかは答えられる筈。だが、返って来る解答が予想出来るのでパス。やはり本人に訊くに限る。

「……怪我は負わなかったが、最後の4人は別格だった」

「それでも勝ったんだろ」

「そうだな」

 素っ気なく答えるのは士郎らしい。

「月詠はどうした?」

「エヴァが来る以前には、消えていた」

「そうか」

 必要最小限の会話で済ます。此処は深く話すには適した場ではない。それと、あの人並外れた狂気の持ち主は、後で考える事にしよう。アレが自分から消えたのなら、此処にはもう来ない。万が一来たとしても、コレだけの布陣。障害にはなるまい。

「アレ程度ニ遅レトッテタラ御主人ノ相手ナンカ出来ネェゼ」

「エヴァ相手は、もう遠慮したい」

 士郎がうっすらと苦笑いを浮かべて、言葉をチャチャゼロへと返す。
 オレが士郎とエヴァの戦いを見たのは一度だけ。そして、士郎がエヴァと戦ったのは一度だけ。あの一度きりで、それ以来エヴァは、オレ達と戦闘面に関して深く関わってない。
 しかし、あの一度きりの戦闘は、結構良い勝負していたと記憶している。それでも士郎がこう言うからには、遠慮したいってコトを冗談で言っている訳じゃなさそうだ。

 間もなく、エヴァ、ネギ、アスナ達の下へとオレ達が合流する。
 エヴァは無言。アスナは居づらそうにしていて、ネギはよく見る困った顔を浮かべていた。

「エヴァ、あの鬼神が面倒起こす前に頼む」

「…………」

 言葉を送ると、オレを見上げて睨んでくる蒼い瞳。修学旅行前にも、こんな表情で睨まれてたな、と思い出す。

「……私でなくとも、衛宮士郎が“あの矢”を使えばよかろう?」

 反論が返って来る。エヴァが示したのは、衛宮士郎が“真名”を解放した幻想だろう。
 オレが、あの戦闘の中でも特に覚えている一場面。以来あの矢を見た覚えはない。ただ其れに酷似している幻想をいつも見ている。

「オレとしては、エヴァにやってもらいたいんだがね」

 エヴァが言うのなら、”あの剣”は目の先に移っている大鬼神にも通じるのだろう。それでもオレは、自分が立てた謀を変える気はない。故に此処はエヴァにやって貰わなければならなかった。

「…………」

 無言。後に舌打ちをして、エヴァが宙へと浮上する。当たり前のように、杖も翼も無しに空を翔けるエヴァ。コレはオレの願いを嫌々ながらも受け取ってくれたという事だ。

「茶々丸ッ!」

 何かを嫌うようにエヴァが吠える。
 困ったものだと思いながら、見上げてみれば此処から後方の上空に、エヴァが吠え上げた名の者が銃を大鬼神へと構えていた。それもただの銃ではなく、アンチ・マテリアルライフル。全長2メートル30センチは、あろうかという代物の銃だ。

 ドンッ、と鈍音。此処へ来る前に聴いた銃声とは桁違いの破壊を思わせる音が辺りに響く。この音を奏でたのは、当然と茶々丸の持つ馬鹿デカイ銃である。
 茶々丸は、あんな銃を撃って反動をモノともしない。普通の人間が、あの銃を立ち撃ちしたのなら反動で肩が吹っ飛ぶ。でも姿勢は立ち撃ちでも空中に浮いているし、正確な所どうだろう。しかし、地だろうが空だろうが反動を受けるのだから、微動だにせぬ茶々丸は半端ないか。

「な、なによ、アレ――」

 アスナの声が向けているのは大鬼神に対して。大鬼神が、もがき苦しんでいる。茶々丸が撃った弾丸が、ソレを引き起こしたのだ。
 あの銃から発射されたのは、通常の銃の目的通り破壊する為の弾丸ではなく特殊弾。対象の周囲に磁場を発生させ、対象を拘束する弾丸。アスナが驚いたのは視覚的に分かり易い、大鬼神を包むように発生した、派手な光を発している磁場に対してだろう。
 弾丸の拘束時間は、対象の質量によって上下する。この大鬼神・リョウメンスクナノカミに対しては、上半身だけでも15丈もの体躯があるように、質量が大き過ぎるので十数秒が限度である。

「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック――」

 聴こえてくる真祖の声。紡ぐのは西洋魔術師、魔法使いならば誰もが持つ魔法を行使するための始動キー。

「‘契約に従い、我に従え、氷の女王――」

 鬼の轟く声が鳴る中、冷たい声が透き通る。

「来れ、とこしえのやみタイオーニオン・エレボスえいえんのひょうがハイオーニエ・クリュスタレ――」

 鬼の声が止んだ。其れは、敵を封ずる一節が完成した為。
 大鬼神が氷の塊へと変貌した。いとも簡単に、コンマ一秒すら与えずに景色を変えた。
 エヴァが唱えしは、ほぼ絶対零度の150フィート四方の完全凍結殲滅呪文。科学でも未だ成しえない絶対零度。其れに限りなく近い極低温を引き起こす魔法は、破格の技術とも言えよう。
 熱力学なんてのは専門外なんで詳しい事は判らない。それでも広範囲に及ぼす極低温の魔法は、恐ろしい力だと理解出来る。もしオレが受けるのなら、自身を守りようがない。発生した時点で終了だろう。

「アレ、お前は防げる?」

「さすがに出されると、どうしようもなさそうだ」

 殲滅魔法は、士郎でも無理と。やっぱり、どう足掻いてもオレじゃ対抗しようがねぇ。オレが抗おうなら、出される前に何とかするしかない。士郎だってそう言ってる。そもそもエヴァ相手に、出される前に潰せるかどうかだが……それ以前に、殴り飛ばされて終わりそうだ。
 しかし、士郎が本気エヴァと戦り合うのなら、文字通り死戦となるのは必至だから見る事が叶わんのだろう。手合わせのアレでも、十分過ぎる程の死戦だった訳だしさ。

「くっ……後一歩やったのに……次から次へと何や、何なんや、あんた何者や!?」

 大鬼神を制御していた千草が愚痴るように叫んだ。今は、木乃香を失い自分の力と残っている木乃香の力で、なんとか大鬼神を操ろうと必死になっている千草。
 千草が思うのは予定外だ、という事だろう。部下が脅威と見なした赤衣装の男。ひよっこと認識していた奴の本当の力は、自分よりも格段と上だった。そして、一瞬で大鬼神を氷塊へと変えた西洋魔術師の存在。相手にとって面倒極まりない者達だ。

「――全ての命ある者に等しき死を。其は、安らぎ也’」

 ハハ、無視ですよ。千草の問いになんて構わずに詠唱している真祖の吸血鬼。千草も可哀想に南無。

 さて、大鬼神を駆逐する魔法が完遂される。呆気ない。余りにも呆気ない結末になるが、真のエヴァ相手だと大抵はこうなのだろう。

「『おわるせかいコズミケー・カタストロフェー』」

 一際と透き通る冷たい声は、破壊を象徴する言葉。氷塊と化したモノを砕く呪文。
 『えいえんのひょうが』までが、対象を氷漬けにする呪文。その後から『おわるせかい』までが、氷塊へと変えたモノを砕く呪文。そして、大鬼神であろうが、それは例外なく起こる不変の殲滅魔法。
 巨躯の体が何の抵抗も出来ぬままに、甲高い音と共に砕け散った結果が残った。

「すごい……」

「兄貴の最大魔法でも傷一つ付けられなかったのに……マジかよ……」

 大鬼神だったモノの大小様々な破片が、次々と湖に大きな音を立てて沈んでいく様を眺めて、少年と使い魔が言葉を漏らしていた。

「ネギ、よくアスナを守った」

 光景を眺め、唖然とした表情で自身の大きな杖を使い、かろうじて立っている少年の方へと、斜め後ろから声を掛ける。

「え……いえ、僕が守ったと言うより、アスナさんが僕を守ってくれたんだと」

 振り返って話すネギは、一度オレへと顔を向けたが、すぐに逸らしてしまい困ってやがる。

「確かに、魔法から守ったのはアスナだが、その後は、ちゃんとお前が守ったろ?」

「えっと――」

 ポンポン、とネギの頭を撫でる。思考がどうも子どもっぽくないのはネギだから。素直に「自分が守りました」とでも言えばいいのに。それでも、こうやって頭を撫でてやると、子どもみたいに嬉しそうな反応をしてくれる。

「気味悪いわね……」

 傍に居るアスナから声が飛んできた。

「今、殴られるより効く言葉をもらった気がするんだが?」

 口の片端が釣り上がっているソイツに向けて言ってやる。

「単純ニテメェノ笑イ顔ガ気色悪インダロ」

 幻聴じゃないようだ。でも気味と気色なら、アスナが言った気味悪いという方が聴こえの良い気がする。気味悪いは、ただ不気味なだけというコトで済みそうだが、気色悪いってのは、もはや嫌ってる所か避けたいって表現だろう。とにかく頭の上に居る人形は酷い。

「士郎、異常は?」

 カシュカシュ、とネギの頭を最後に強く掻いてやってから、一旦、思考を切り替える。
 オレの知っている流れで行けば、もう一つだけ厄介なモンが残っている。これが一番恐しい点であり、注意すべき点。呆気なく済ませられた為に、油断し、慢心した結果、発生する出来事。

 それは、エヴァンジェリンという真祖の吸血鬼が、白髪の少年の魔法に刺されてしまう悪い出来事だ。
 白髪の少年が、突如出現したエヴァを脅威と見なしたのか、攻撃の対象にする。その真の理由は詳細に描かれてなかったが、恐らく理由として間違っちゃいないだろう。

「特に無しだ」

 しかし、本来いない筈の人物が二人混じっている。それ故に奴にとっては、敵が多くなった分、本来と比べて、おいそれと不意打ちは出来ない。しかも、その内の一人は衛宮士郎。歴戦を潜り抜けてきた男だ。どれだけ戦を潜り抜けたのかと、深い内容を士郎から聞いとらんが、奴にとって十分驚異となる人物には違いない。
 白髪の少年と言えば、修学旅行一日目では予想外の出現で不覚をとったが……アレは予想してなかったオレが悪かった。詰めが甘いせいだ。

「…………」

 無言のままのエヴァが、空に揺らいだ紙が地に落ちるが如く静かに、且つ音も無しに傍へと降り立つ。

「ソンナ眉間ニ皺寄セテリャ痕残ルゼ御主人」

「黙れ」

 ひょいとオレの頭からエヴァの頭に飛び移るチャチャゼロ。
 エヴァはチャチャゼロに対して鬱陶しそうにしながらも、払いのけはしないで言葉だけ突き放していた。

「あれ……? でも、エヴァちゃん何で来れたの? 呪いあるんじゃなかったっけ」

「……茶々丸、この馬鹿に話してやれ」

 アスナの疑問も、エヴァがさらりと我が従者へと流して行く。そんなエヴァの従者の茶々丸だが、丁度、背と足裏から出力するブースターで橋へと降り立った所だった。片腕で抱えている対物ライフルが少々気になる。
 茶々丸は無言のまま、主の命を守ろうとアスナの傍へ。アスナは馬鹿と言われてか顔を顰めたが、訊きたい事を優先して、すぐに寄って来た茶々丸へと真面目な表情で対応する。どうやらネギも一緒になって聞くようだ。

「それで、お前さんは何処行こうとしてんだ」

 従者に説明を任せて、我関せずと歩き始めていた人形乗せてる金髪っ子。そっちの方向は間違いなく帰路である。

「…………」

 足を止めて眉間に皺寄せると、オレを見て、また舌打ちするエヴァ。人形も一緒になって舌打ちしてる。
 しかし、修学旅行前も、こんなだった気がするけど程度上がってないかい? と、そんなコトを思ってると、エヴァが此方へと歩み戻って来た。

「…………」

 エヴァは無言のまま、オレの横を通りすぎて茶々丸の隣へと付く。

「士郎」

 対物ライフルを茶々丸から無言で奪い取ってるエヴァを見ながら、隣の男に向け、この機嫌の悪い中身について問う。

「……悪いが、答えられない。というよりも答えようがない」

 エヴァが茶々丸から奪った銃を何処かへ消し去った所で、隣から答えが返って来る。何であんな不機嫌か、という理由がコイツにも分からないと。そんで士郎の眼はオレへと向けていた。原因は不明と言え、その元はお前だろう、とでも言いたそうに士郎の眼が言っている。そりゃあオレなんだろう。だが、オレも分からんから士郎に聞いた訳で。

 はぁ、と溜め息吐いて金髪の小さな背を見る。何もしていないのに、前より悪化してるってんだから困りもんだ。

「ともかくやっと終わりか。酷く長く感じる一日だった」

 あらかた片付いた。今回の修学旅行で発生するイベント全てが此処で終了。
 もう一度だけ、別の意味の溜め息を吐いて、心を落ち着かせる。

 士郎の視線が移っていたのに気付き、そちらに目を向けると、今回の騒動で狙われた姫と救った剣士の二人の姿が、コチラへと向かってきていた。
 こっち側に中々来なかったのは、刹那が木乃香を思って長く飛んでいたのか、木乃香が刹那にねだって飛んでいたのか、それとも衣服の無かった木乃香の為に、橋の入り口の塔から羽織るモノでも持ってきたせいか。木乃香の格好を見る限り最後に挙げたコトが正解だろう。
 何にせよ、あの二人の間が近くなったというのが二人から伝わる雰囲気でわかる。

「士郎には、またまた感謝しねぇと」

 今回の件は士郎が一番活躍してくれた。というよりコイツがいなかったら今頃どうなってたことやら。おそらく不吉な展開。想像したくもないコトが起こってそうだ。

「仁がそう言うなら、素直に受け取って――――」

 

 ――――ああ、急展開もいいとこだ。お陰で士郎が何て言ったのか最後まで聞き取れんかった。

 良いこと後には、悪いことがある。迷信か。しかし、現に起きようとしている。折角、視界に収めた和やかな雰囲気がブチ壊しだ。

 何故コッチを狙っている。
 何が狙いなんだコイツは。

「きゃ……」
「え……」

 後ろから声が二つ。出させた原因は、その二人を突き飛ばしたオレだ。
 強引だったがああするしかなかった。すぐにでも謝るべき事だが、生憎語りかける暇はない。
 確認すべきは目の前の事象。解決すべき脅威が、オレの目の前にある。

 オレの片腕にはカラドボルグ。振り切るか? ――駄目だ、払うにしても叩きつけるにしても奴は間合いの外。
 今は一時だがオレは止まってしまっている。それは、後ろの二人を引っ張って突き飛ばしたが為に生じた隙。
 コレから踏み込んで振り下ろそうとも、その瞬間に最悪な事が起きるイメージが頭に浮かぶ。

 ならば動作が最小の速い突き――これも駄目。オレ程度の突きなら、奴は簡単に避ける所か、やはり間に合わない。軽く手合わせたしたせいで、否応なしに悟ってしまう。

 何度見ても、嫌な無表情と冷たい眼をしてやがる。

 ――今、理解した。コイツの狙いは、さっきの二人じゃない。

 ――本来狙われる筈だったエヴァでもない。

 ――初めからオレだ。オレを狙った冷酷な眼。

 まんまと誘われた。白髪頭のコイツに。現在、「フェイト・アーウェルンクス」という偽名を騙っているコイツに。
 修学旅行中は幸がないと感じていたが、コイツに目を付けられた時点で不運だった。修学旅行初日にコイツと出会ったのが良い例だ。オレがアレっきりでもオカシク無かったのだから。
 しかし、なんだ――

 ――コレカラ何をしようとヤラレルイメージしか浮かばない。

 

 

 

「……くっ…………」

 呻く声が上がる。それと共に白髪の少年と代わって、オレの眼には白とは別、紅い色へと意識が移った。

 

 

 

「下がれ、刹那ッ!」

 声を張り上げたのはオレ。木乃香を左腕に抱えて刹那と後ろに一気に退いた。

 ヤラレナカッタ。

 それもさっきまでフェイトが居た場所にある紅。血のような紅の魔槍【ゲイボルク】のお陰だ。アレがまさに間一髪のとこでフェイトを止めてオレを救った。

「助かった……」

 安堵するが、カラドボルグは構えたまま。
 ああ、しかし本当に助かった。あの魔槍が介入してなければ、必ず起きていた。本来起きるべきだった筈の出来事。フェイトがエヴァの腹を貫く魔法が我が身へと。

 油断はしない。フェイトは介入した魔槍が橋へと刺さる寸前で避け、奴が浮遊術で空中に留まっている。敵が健在なのだから、此方は眼を逸らせない。
 避けて、今まで転移していたように、そのままどっかに消えてくれればよかったんだけどな、と思いながら、ゲイボルクに目を凝らしてる敵を眺める。

「助けてくれたのは士郎か、チャチャゼロか?」

 ゲイボルクを使うのは、この世界に来たばかりの時に、士郎が投影したものを愛用しているチャチャゼロと、それを創り出した衛宮士郎だ。

 しかし、実に可笑しな話だが、オレ以外にフェイトの動きに気づいているとは思わなかった。それともオレを誘う為にアイツが動いたのだから、オレ以外が気付けなくて当然か。そのために、オレは援護の望みがないと判断しての先程までの行動。いや、考える前に体が動いていた。

「オレジャネェゾ」

 後ろからの片言な声。チャチャゼロがすぐに返してくれた。

「それなら士郎か。ホント、今日は感謝が尽きねぇ」

 チャチャゼロでないならば、答えはコレしかない。
 感謝は今日だけというより、修学旅行中を累計した方がいいか。どう返せばいいか考えなきゃいけねぇ程、借りが溜まってる。そういえば、この世界に来た時も、こんな風に命を助けられていたか。借りっぱなしな自分が情けない。

「いいや……」

「何だ、アレは――?」

「ああ、得体の知れねぇ根暗野郎だ。さっき殴り飛ばしただろ」

 士郎の返答の間に入ってきたエヴァにオレが答える。一度間近で見合わせているのに、おかしな奴だなと思いながら。

「違う、仁――」

「ああ?」

 思わず乱雑に言葉を返してしまった。敵がいるのにも関わらず士郎の様子が変なせいだ。それにしても、ここまで様子が変な士郎も珍しい。

 何処を見ている? 気がかったので、一瞬だけ士郎を横目で確認した。
 士郎が見ているのはフェイトではないのか? 周りがオカシイ? エヴァは普通だったか……?
 フェイト・アーウェルンクス。奴は今何処を見ている? 士郎と同じ――?

「仁……あの槍は本物だ」

 

 

 ――――まずは挨拶か。『コンバンハ』坊主共に嬢ちゃん達。

 

 

 そうか。オカシカッタのは周りじゃなくてオレだったか。目に映る現実は認めたくないと願っていたようだ。

 しかし、コレは決して夢でも幻でもない。
 オレの目には、塔の上で愉快気に笑う青き槍兵の姿を正確に捉え、耳には冗談めいたセリフが聞こえていた。

 

 

<<BACK  NEXT>>

TOP  SUB TOP

――6巻 51、52時間目――

修正日
2011/3/16

inserted by FC2 system