43 修学旅行3日目夜・真夜中の襲撃者

 

 

 目を疑う光景。冗談であればどれほど楽か。イレギュラーにも程があると泣き叫びたい。
 いや、そんな弱音は後だ。まずは頭の中を整理しろ防人仁。こんな時こそ冷静に。やれば何事も可能だと自己暗示を掛けろ。

 橋の入り口、塔の上から此方を見下ろす青い衣を纏った男の名は『ランサー』。オレが知る通りならば衛宮士郎と同じ世界の住人である。それは、士郎の「あの槍は本物」という発言でハッキリと確定した事実。
 正体は判っている。コレで未知だった筈のモノが既知と知り、不安は一つ消えた。だが、これよりもハッキリとさせなければならない重要な事がある。

 橋に突き刺さった真紅の魔槍の持ち主が、“敵”なのか“味方”なのかだ。

 味方ならば良し。戦う必要がない。というよりもアイツは味方である筈。何故なら、ついさっき、アイツがオレを助けてくれたのだから、アイツが敵であっては筋が通らない。真に敵ならば、あのままオレがヤラレルのを眺めるのが最も一般的、且つ巧妙な答えだ。わざわざ助けたとしても、後で戦うのなら手間が増えるだけである。

 かといって、安易には動けない。いくら敵側に似合わない行動を取ろうが、敵である可能性が0ではない。特に『あの男』だから、この例外が当て嵌まりそうなものだ。
 加えてオレが相手の危険性を熟知している時点で、安易に動くなど阿呆の極みである。

 アイツが敵であれば容赦なく此方の命を絶ってくる。もしだ。もし敵であれば――

 青の男が動く――どうする?
 塔から橋へと、音もなく着地して此方に歩み向かってくる――どうすればいい?
 紅の槍を白髪の坊主に奴に向けて、アレが何か言っている――どう――

「落ち着け、仁」

 前から声が聞こえた。そこには、いつの間にかオレ達を守るように、前へと数歩だけ身を出していた赤い姿があった。

 そうだ、何も一人で考えなくてもいい。むしろ一人で考えていたオレが馬鹿だ。周りにはオレより遥かに頼れる奴らがいる。現にあの後ろ姿が信頼できるモノだと語っているのに。

「ケケケ、イツモノ腑抜ケニ戻ッテキタナ。ソレガテメェラシイゼ」

「これは、皮肉めいた一言感謝だ」

 人形の声に向けて、さらっと一言返す。

「――――そっちは随分と賑やかで楽しそうだ」

 聞き慣れない声が耳へと届く。その主は己の魔槍で、オレを助けてくれた槍兵。
 見ればオレ達を眺めて愉快気に笑って立ち止まっていた。それは全く敵意も殺気もなく、決して敵とは思えない姿。

「おっと、邪魔しちまったみたいだな」

 槍兵は、前々から知り合いだったかのように、軽い素振りで話す。
 やはり、敵とは思えない。思えないのだが……何故アイツは味方ではないと思えるのだろう。

 ――そりゃそうだろう。アレが味方ならば、肌を槍で刺すような緊張感などない。
 現にお喋りしようと気楽に構えているのは、槍兵のみ。此方側で、いつもと態度が変わらないのは、オレの隣にいつの間にやら並び立っているエヴァと、その頭の上のチャチャゼロぐらいなものだ。
 前の奴と隣の奴以外は、オレよりも後ろ。だが、そこを見ずとも張りつくような緊張感が背中に感じ取れた。

 オレ達より数歩前に立つ士郎とランサーの距離は十メートル。つかず離れずの距離。これ以上距離が縮まると戦闘が始まる。

「何をしに……いや、何故お前が居る」

 言葉を投げ掛けるのは、陰陽の剣を握る赤衣装。

「そう急くな坊主――あぁ、“アーチャー”って呼んだ方がいいか?」

 言葉を返すのは、紅い魔槍を携えた青衣装。

 今、コイツ、“ランサー”は、ある言葉を吐いて断言した。つまり、理解している。槍兵は、オレ達を守るように立っている男の「未来」の正体を判った上で、言葉を進めている。何せ、士郎の格好は背丈こそ違えど、ランサーが今言った“ソレ”と同一だ。加えて携えている得物も同一。
 そして、また一つ知り得た。このランサーは、あの戦争を経験している。更にその記憶があるというコトだ。ならば、この男が衛宮士郎という存在の結果の一つである未来の姿に気付かない訳がない。

「……からかってないで答えろ、ランサー」

 落ち着いている口調ではあるが、口早に士郎が槍兵へ問う。

 オレは士郎の過去を聞いちゃいない。それでも過去について、推測だけは、いつものようにオレの頭の中に在るモノから可能だ。それを導いていけば、「衛宮士郎は、紅い槍の持ち主に心臓を貫かれ、一度殺されている」というコトが出てくる。どの衛宮士郎でも、コレが不変と成って襲って来る。変わりなく、衛宮士郎が出会う過去の一つ。
 士郎の相手は、自分を殺した相手。動揺しない方がおかしい。しかし、その後ろ姿には不思議と頼りがいがあった。

「そうカッカしなくてもいいじゃねえか」

 槍兵の態度は気楽という一言で表現出来よう。
 軽く笑う青の姿は余裕という言葉で理解出来る。

「まぁ、その問いに答えてやってもいい――」

 槍兵が一拍置いて宙を仰ぐ。言葉を探し掴むように槍兵の視線が動いた。

「――が、ここの処はオレにも分からない。“目が覚めたらこの世界に居た”分かると言うのならば、それだけだ」

 その言葉は真実か否か、問いかけた士郎は打って変わって、静かに相手を窺っているようだった。
 士郎がコレをどう判断するか。しかし、あの男の言葉は真実だろう。アレは回りくどいコトをしない男。故に一々嘘を吐く訳がない。

 ランサーの言葉が真実だったとする。そうだとしても、ランサー自身が言った通り、何も「分からない」だけ。コッチにとって特に情報が得られる訳でもなく、アチラが損をする訳でもない。だからこそ、ランサーは簡単に問いに答えたのだろうか。

 それよりも今の士郎の質問は、優先して訊きたい事ではない。まずアイツに聞きたいのは――

「そうか……じゃあアンタは何をしにきたんだ。単に挨拶をしに来ただけ、という訳じゃないんだろう」

 そう、これだ。来たからには何かしら理由が存在する。
 気が乗った。故に我が思うままに、という事もあるだろう。と、頭の中で巡らせているものの、アイツの目的は大方見当がついている。もうほとんど確実にコレ、って具合だ。ほら、あの喜々とした笑い顔が嫌なくらいに語っている。

「話が早いな――。いや、少々もったいぶってやがるか。もうすでにオレがやりたいことはわかってんだろ、魔術師の弓兵!」

 ――ああ、悪い予感ってのは嫌なほど当たるもんだ。

 開始は同時。合図を出したのは敵方。橋を蹴る音で始まった。
 試合、仕合い、死合い。後ろに行くにつれて程度は高い。しかし、コレは試合なんて生易しいものではない。当て嵌めるのならば、死合い、即ち殺し合いこそ赤と青の舞台に相応しい言葉。

 先手を打ったのは、確かに槍兵だった。だが士郎も遅れてはいない。相手の初動に十分の一秒も遅れず、前へ踏み出していた。

 槍兵の初撃は突き。当然と先手は槍兵であった槍兵が持つ凶器は2メートルを越える。反対に士郎の凶器は約60センチの二振り。ほぼ同時で踏み込んだ場合、得物の長い方が先手を取れるのが道理。陰陽の剣閃が槍の突きよりも速い、もしくは、踏み込みが槍兵よりも速くなければ、衛宮士郎が先手を取れる訳がない。

 鋼の音が響く。よく耳に入れるようになった音。聴く機会など在る筈がなかった音。

 紅の点が空を通り抜ける。それは音だけでも解っていた事。衛宮士郎が、自分を刺し殺そうとする槍を、己が剣で逸らしていたのだから。

 ランサーが後退する。槍を引き、赤衣装の反撃を恐れるように――

 否。槍兵が畏れた訳ではない。なんせ槍兵は笑っている。歓迎するような表情で、我が敵を迎えていた。

「な…………」

 声を漏らしたのは、後ろでソレを眺めていたオレ。

 ランサーの二度目の突きは、二度目と形容するに相応しくないモノだった。
 まさに連撃。同時にも思わせる程の速さで、命を刈り獲らんと真紅の槍が疾駆していた。

 コレを見てしまったせいで理解出来る。初撃の突きは手を抜いていたと。しかし、あの槍兵が手を抜く事があるだろうか? あの「戦争時」は縛りという誓約が存在していただけに、一度だけ手を抜いて見に回らざるを得なかった事をオレは知っている。ただ其れは、ランサーと「同等の存在」に対してのみで、同じ誓約が在ったとしても、この衛宮士郎と関係がない。

 では初撃の御遊びのような突きは何だというのか。衛宮士郎とランサーの関係を知るモノなら、こう仮定できよう。先程のランサーが放った初撃は「戦争時」に衛宮士郎と手合わせした力と同等のモノだった。ある意味、衛宮士郎を舐めて掛かったランサーは、甘い突きを凌がれてしまい、一度退かねば相手に獲られると判断して退く。そして、思った以上の成長振り、戦争時に同じ格好をしたあの男、初めに槍兵が口に出した“アーチャー”を思い出してか、感極まった笑い顔を浮かべ、今に至ると。

 火花が散り、鋼の音は続く。

 青赤の光景を眺める者によって、それは音楽を奏でるようだとでも言うのだろう。
 だがオレは、そんな詩的なモノを考える程余裕がない。対抗する手段を講じなければならなかった。それも今すぐに。

 信じたくない事に槍兵の繰り出す技の速度が上がっている。初めの数合の撃ちあいは見えたが、もうオレには戦いの詳細を理解出来ていない。予測だけで、ランサーが力を徐々に上げていると判断した。

 すぐに策を立てなければと、思う理由はある。それは衛宮士郎が、ランサーに白兵戦で勝ると思っていないからだ。衛宮士郎が“アーチャー”を越えていれば勝利も掴めるだろう。しかし、越えていると決定づけられる理由を持っていない。
 間違いなく今の“衛宮士郎”は、あの戦争時の“衛宮士郎”よりは強い。今も尚、槍兵の光速の如き技に対し、鮮血を上げる事もなく凌いでいる。故にそうであると断言できた。それでも、本人に「どちらが強い?」と聞いていない為に確証がない。何より士郎の体格が弓兵より劣っている時点で敗色を強く感じていた。

 アレに対抗するには打倒する者が必要だ。必要な最低ラインは、衛宮士郎より力が在る者。欲しいラインは、槍兵より確実に力が在る者。前者をクリアできない者が槍兵に挑むのは無謀。攻め入っても命を投げ捨てるに等しい。
 条件をクリアしてる奴は、この場に一人。こんな戦いに確実なんてモノは存在しないが、勝利を掴めるとしたら、此処にコイツ以外に居ない。

 あ……れ――――――?

 オカシな光景が突然と映った。
 鈍重と化した片方の舞。今、そうなるのは致命的。

 何故、急に? 違う。考えるのはソレじゃない。
 どうする? あのままじゃヤラレル。青と死合ってる赤が確実に。

 ――援護するべきか? 誰が? オレ……? 今さっき、あの一人以外は手助けをしようとも無謀だと判断したオレが?
 周りから動く気配は全くしない。コレは最初と変わらない。だが、あの光景を同じく見ているアイツ、オレが唯一槍兵に敵うだろうと思ったアイツも動こうとしていなかった。

 だからオレが動くってか。
 そうだ。考えてる時間なんてないだろ、動かないと戦ってる赤の背中が死――

 ――止まれ。

 一息に間合いを詰めようとした考えが綺麗に抜け落ちた。
 このままだとアイツが死ぬとわかっているのに? アイツを見殺しにする? 

 ――違う。

「つああぁ――――っ!」

 叫び声のような掛け声の主は、陰陽の剣を使うアイツだ。
 死ぬどころか、傷を受けてもいない。あのどうしようもない状態から、無理矢理アイツは鋼の音を一層と辺りに響かせて、槍兵を追い返しやがった。

 オレが止まれと思ったのは直感……? そうだとしたら、気味が悪いぐらい冴えわたってる。いや、元々士郎が不利な状況ではなく、鈍重と見えたのも、オレの勘違いだったのだろうか……? しかし、士郎の何かに逆らうような叫び声は、危機を追い返したモノではなかろうか。それに必死に食らいつくような声を上げるアイツを、この世界で見た覚えが無い。そのために、アレは士郎が危機と対面した姿だったと思えた。

 青が後ろへと大きく遠ざかる。
 槍兵が示した意志は、一度の休戦。落ち着き払った表情で、携えている槍と同じ紅い瞳が、力をぶつけ合った相手を見ていた。

「御主人ガ手助ケシチマエバ早ク終ワルンジャネェノカ?」

 余裕が此方にも出来たので会話が可能となる。見ていただけでも、あの戦闘が在る内は好きに話す事も出来なかった。それだけアレは、唯の戦闘ではないと語っている。

「…………」

 問いかけたチャチャゼロに対し、頭の上へと返す様子もしないエヴァ。しかし、オレもそれを聞きたかっただけに、無言でいられると困る。
 エヴァは答えるのが面倒なのか、動くのが面倒なのか。眉をしかめて前を眺めている表情を見れば、戦う事に気分が乗らないからなのか。

「…………」

 蒼色の瞳と目が合っちまった。依然と無言の金髪少女。随分と機嫌が悪い、その人。

「……寒気を感じるか?」

 エヴァが視線を前へと戻した後に、言葉が渡ってくる。

「寒気でなくとも異変でもいい。何か感じるものはあるか?」

「……変わったとこなんて、あの青いのが居る以外ないが」

 思考は数秒、エヴァの質問の意図を読めなかったが問いにすぐ答えた。
 オレとしては、異変も何もアレが居る時点でオカシイ。それ以外でもオカシイ点を細かに挙げようと思えばいくらでも出せるぐらいに、今の状況はオカシナものだった。

「お前達……刹那、茶々丸、異変は感じるか?」

 エヴァが振り返りはしないが、続けて後ろの二人にも同じ質問を送る。
 他に三人居るんだが……聞いても無駄と判断したようだ。この判断はオレも同意。一人は大分落ち着いたが疲れ切った少年。一人は感情に任せ、此処まで懸命に頑張り抜いた色んな意味で馬鹿な奴。残る一人は、まだ状況も掴めてないだろう助けられた姫だ。コイツらと話すのは後の方がいい。こんな状況に成ってしまった今、話す相手ではない。

「いえ、特に異変は感じられません」

「え、あ……私もです」

 茶々丸は冷静に、刹那は少し焦り気味に口早と答える。その答えはどちらもオレと同じものだった。
 異変ってのは感じ取れないが、エヴァが同じ問いを繰り返すって事は何かあるのだろう。

「そうか、それならいい――」

「エヴァ、何処かおかしな点でもあるのか?」

 聞き質さないと、どうも一人で考え込みそうな為に聞き返した。気付いた事があるのなら、ソレを答えてくれるのを願って言葉を出した。

「……単に私に対して誰かが殺気を送っているだけだ。あの槍兵ではない誰かがな」

「単に――って、悠長に答えてくれたのはいいが、ひょっとしてマズイんじゃねぇのか」

「アア、面白クナッテキヤガッタナ」

 面白くも何ともない、厄介なもんが増えて冷や汗もんだ。
 エヴァの言葉から分かる事は、あの青い槍兵以外に別の誰かが居るって事。一体そいつは何者だ? ランサーの仲間か、全くの第三者か、それとも――

「さっきの白髪の坊主じゃねぇのか?」

「ソレハネェナ」

「チャチャゼロの言う通り、それはない」

 隣の一人と一体が即答する。

「先程、私にだけ殺気を送っていると言ったな。言うなればコレは私に動くなという警告だ。私にだけ的を絞ったのは相手が私の危険性を知っている、もしくは相当の手練か、はたまた両方か」

「おい、それは話していいのか? 警告なんだろ」

 物騒な言葉が飛んでくる。殺気、つまりエヴァを殺そうとする者が別に居るという
事。

「そこまでコソコソとする気も謂われもない――そいつが真に言いたいのは、黙ってあの二人を静観していろ、と言う事だ。私にだけ警告を送っているのは、私以外の者を敵とも見ていないのだろう」

 表情を渋らせながらエヴァは語る。
 今のエヴァの言葉の中で、どうも最後の言葉がオレの心に刺さっていた。何故かと思いエヴァの言った内容を振り返ってみる。すぐに浮かんできたものは、敵がオレを相手にする価値もない雑魚と認識してるって事だ。そりゃあ貶されて気持ちいいハズはない。これ以外にもオレの心に刺すものがあるだろうか、と探してみるが、すぐには出てこなかった。

「……問題のそいつだが、十中八九あの青い奴の仲間だろう。それに手練かもしれんとは言ったもののやり口は相当の小物だ。いや、利口と言っておこうか。なんせ此方のお荷物は全員人質と言っているのだからな」

 珍しく自分から多く語ってくれるエヴァ。それは現状が緊急事態となっている為だからに違いない。オレとしては嬉しい半面、それだけうかうかしていれば危険を被る事だと分かり、辛いってトコだ。

「マサカ俺マデオ荷物ッテ思ワレテルンジャネェダロウナ」

「それぐらい自分で考えろ、阿呆人形」

「オオ、酷イゼ御主人。俺ダケ京都観光シテタカラ僻ンデルノカ」

「黙ってろ」

 隣の喧嘩腰に近い冷たい喋りと笑い声のやり取りを聴きながら現状把握に入る。
 何処かで隠れてエヴァだけを狙っている奴。そいつは高確率で槍兵の仲間である、とエヴァが言っていた。
 一度前の光景へ集中する。今回、肝となっている襲撃者のアイツを見れば、士郎と何やら話しているのが確認出来た。

 しかし、本当に隠れているソイツはランサーの仲間? 人質を取るような事を、あの槍兵が認めたってのか? エヴァが言っていたのは、エヴァ自身が動けばオレ達、つまり力が弱い者を隠れている奴が狙ってくるって事だろう。コレをアレが認めたのか?

 ……違うな。そんなことは証明しなくていい。
 エヴァが襲ってくるって言うのなら敵は襲ってくるんだろう。要はどう対処するかって事が重要。敵が動くなと言うのなら黙って静観し、士郎に全てを託す道もありだが、不明の敵をどうにかするに越した事はない。
 それに今までの経緯から一つ推測が立てられる。コレは、今起きている全ての厄介事に対処法を打てる算段に繋がりそうなのだが――

「……何か思うことがありそうだな」

 またもや、隣の金髪少女から語りかけてくる。

「――以前、士郎からこういう話を聞いた。英雄を現界させるには寄り代が必要だと」

 言うべきか戸惑ったが、此処まで干渉しようとしてくれるのなら話す事にした。今は戦力が欲しい。オレ一人の知識と力では到底敵いそうにないのだから、助力を求めるしかなかった。

 オレが推測したモノは――「魔術師」。隠れている敵が、こういう身分であるという事。これならばソイツが隠れている理由に説明づけられる。もしそうならば、あの槍兵と隠れている奴が二人で一組。隠れている方、つまり魔術師がやられれば槍兵は無力になる。もし、“あの戦争”が此処で始まっているのなら、そういうシステムのハズだ。

「成程。コソコソとする訳だ」

 エヴァが小さな声で納得する。
 先程、オレが吐いた言葉は嘘混じり、士郎になど教えてもらってはいない。記憶にあるものを引っ張り出し、エヴァに必要なことを述べただけ。相手が此方の会話を聞いている恐れがあるのなら、此方の情報を与えないように最低限の言葉で済ました。

「まあいい、気に食わないが此処は衛宮士郎に任せよう。私はさっきの殲滅魔法で少々疲れたから、休ませてもらう」

「……結局休むのか――」

『現状で優先すべきは隠れている奴の排除だ』

 あ……何だ?
 急に直接脳に響くエヴァの声……念話か?

「間抜けな顔が一段と間抜けになっているな神楽坂明日菜」

「ん……? ……ちょ、ちょっとどういうことよ!」

「言葉のままの意味だ」
『面倒だが、そいつの場所さえ特定できれば私が動いてやろう――』

 間違いなくエヴァがオレ相手に念話をしている。エヴァの念話は、エヴァがアスナに直接口で語りかけると同時。聴こえてくる声は、念話の方が一層と耳に残っていた。コレは意識を念話へと集中させる魔法でも同時に行使しているのだろうか。

『だが私が動けば当然相手も動く。その時はチャチャゼロと貴様が、この甘チャンどもの面倒を見ろ』
「今回は知らずの内に巻き込まれたとはいえ、これ以上この世界に関わるつもりなら中途半端なその志を変えるコトだ」

「むぅ…………」

 エヴァが、ふくれっ面のアスナを相手にしながら、オレ、そして念話の内容を考えればチャチャゼロ相手へ念話で器用に相手にしている。本当に器用な奴だ。混同してごったにならないのは関心する。しかし、面倒な会話を続けているのには意味があるんだろう。真っ先に考えられるのは、敵に対してのかく乱ってとこか。

 とにかく、今はエヴァに言われた通りコイツ等のコトが大事。エヴァがオレを頼っているなら、それに応えないといけない。

「ソコマデ馬鹿レッドガ関ワルノガ嫌ナノカ御主人。トコトン甘クナッ――」

「黙れ、チャチャゼロ」
『機会が訪れ、事が開始されれば後は一瞬だ。貴様は衛宮士郎にボコられているように我武者羅に動けば問題なかろう』

 珍しく頼られているのかと思えば、しっかりと貶してくるのはエヴァらしい。いつもの態度で安心した。
 元よりオレは、我武者羅でしか動いてない身だ。ほとんどが頼りっきりになってるオレ。限られた力を全力で行使するしか選択肢なんてオレにない。それは敵より劣っていると理解しているからだ。中途な力を使えば、死に急ぐようなものなんだから。

 

 

 

 

 

“――――――”

 

 

 

 

 

 

「――――ア?」

 オカシイ、何かがオカシイ。

 空気が冷たい。

 世界が突然凍った。

「――――ッ」

 思わず咽から声が吐き出た。
 苦しい、吸う空気が痛々しい。
 声が吐き出たのは、この苦痛のせいか。

 苦痛だけならよかった。
 気味が悪いモノが纏わりついてるような感覚、これが不味い。
 鞭打って気合を入れようとしたのが無意味だと、否応なしに不安にさせられる。

「――――――」

 何だ、ビビってんのか。気をしっかりと保て。
 例え相手が敵わない者だとしても強気を見せろ、理解していようとも一歩も退くな。そうでなければ全力を奮うなんて出来やしない。暗い思考は、なんの気まぐれか知らんが頼ろうとしてるアイツに落胆させる事に繋がってしまう。そんなの御免だ。

『――――――』

 馴染みある真祖の声が耳に届く。
 だが、何故かその声はぼんやりとしか聞こえない。

『――――――』

 ああ、わかってる。
 聞こえてないけどわかってる、オレが行うべき事はわかってるさ。

 状況は変わっている。移さなければならなくなってしまった状況へと。

 一言だけ発して、無謀だとわかりきってる行動を開始した。

 

 

 

 ――鋼の音が甲高く響く。

 ついさっきまで聞いていた音よりも大きく、高く。
 それも当然、さっきは端からそれを眺めていただけ。そして今は、オレ自身がそれを眼前で引き起こしている。

「――――――ッ」

 この詰まったような声をオレが出したのは何度目か。危機に直面した時に出てくる声。その中でも断然に辛く口から出たものだろう。

 ――アイツを十秒でいいから止めろ。

 金髪のお嬢さんが出した言葉はコレ。
 最初にオレに言いつけた事とは異なる言葉。人を守り切るのではなく、攻めるために動けと。異なるのも仕方がない、そうしなければならなかったのだから。

 エヴァの言葉のアイツとは勿論のこと槍兵。止めろってのは、そのままの意味。オレが自分の力を以って止めろと。

 オレよりも確実に、この槍兵に相応しい相手は居た。現に互角に打ち合っていたのを先程まで見ていた。先程まで槍兵と会話をする姿を見ていた。本来ならばコイツが、衛宮士郎が今のオレの役をやる筈だった。

 しかし、それは叶わない。

 突然だった。打ち合いでは猛威を奮っていた男。一時の休戦として槍兵と会話していた士郎の生気が抜けた。否、突然ではなく何かしらの兆候があったのかもしれない。ソレについてオレが何か感付いていた記憶がある。
 だがそれも唐突に感じた『あの嫌な空気』のせいで、頭の中にあったものが何もかも吹っ飛ばされてしまった。そのせいで気付いていたハズのものも忘れてしまったか。何にせよ全ての起因は、あの嫌な空気が関わっている。

 起こってしまった事はどうしようもない。例えそれが到底信じられない事だろうが変えられない。素直に受け入れて最善を尽くすのみ。

 ――渾身を込めた借り物の魔剣の一撃が、簡単に魔槍によって防がれた。

 オレとしては不意をついたつもりでも、相手にとってはどうという事ではないと、槍兵の表情が語っている。
 一合で力の差は歴然だと悟る。戦いを端で見ていた時から、それを理解していた。そして直に対峙した今、それは揺るぎないモノだと認識させられる。

 それでも退けない。この場を任され、頼られたのだから。

 間も空けず最速の二撃目を放つ。

 攻め続けなければ間違いなくヤラレル。オレに与えられた選択肢は、この一つだけ。 繰り出した二撃目は、一撃目と同様にオレが先に魔剣を放った。放った筈なのに、何故“先”に放たれたように槍が突き出ているんだ。

 ――――マズイ

 言葉が頭の中をよぎる。
 目の前に見たくないモノが見える。
 決して迎え入れたくないモノがある。

 

 

 ――――――

 死ぬ。

 容易く殺される。

 それも一瞬の内に。

 ――――死ぬ? そんなのはご免だ。

 

 

 魔剣と魔槍がぶつかる。響く鋼の音は一段と甲高く。
 気づいた時には槍を弾いていた。無意識の内に、まるで死にたくないと動いていた。

 それは何処かで見た映像が再現されたかのように。

 偶然に等しい動作。二度は絶対に続かない。攻めるにも全てが無駄に終わるのが視える。時間を稼ぐ所か生きるのさえ危うい。

 それでも何故か槍兵に向けて、この体が一閃を放っていた。

 変わらず響く鋼の音。
 変わらず防がれる魔剣。
 そして、変化があったのは槍兵の表情だった。

「――――惜しかったな、フェルグスの魔剣使い」

 槍兵の表情、残念だという表情に気づいた時には、オレの目の前に槍兵が居なくなっていた。
 違う。そうではなく正確には、オレが槍兵の下から居なくなった。腹部に走る痛みと、つい先程の記憶で蹴り飛ばされたのだと理解する。

 握りしめていた筈の剣が無くなったせいで槍兵の愛想が尽きたのだと理解した。
 そもそもオレに対して、あの男は興味を持っていたのか。

 何を思い、理解した所で変わりはしない。
 ただ約束を果たせていないのが無念なだけだ。

 いや、―――――――。

 

 

 

◇◆

 

 

 

 橋上に残された者の多くが、起こった事を直ぐに把握できておらず、見送るだけでいた。今しがた人が一人蹴り飛ばされたという事実を。それを引き起したのは槍兵。彼が最も今について理解している。そして、これからすべき行動を理解している。

 槍兵の視線が湖から立ち尽くす赤、奥に居る者達へと動く。それも一瞬、槍兵は表情を変えず、己のすべき事を成す為に動く。

 槍兵の姿がその場から消えた。橋上に残された人達が状況を理解するよりも前に。

「――――」

 鈍く突き刺さる音が鳴る。

 音の先には不自然に立ち止まる青色の姿が在った。消した位置から然程離れていない所に彼が居た。彼の行く先には、阻むように突き刺さっている二振りの無骨な短剣。これが彼の動きを止め、留まらせた原因。

「ほう、次はオマエが相手か」

 槍兵が身を翻し、その姿は再び槍を構え戦闘態勢と成る。彼の視線は初めに死合った赤衣装の男へと変わっていた。だが、依然として槍兵の堂々たる姿は変わらない。彼にとって完全に予想の外の出来事が起ころうとも揺るがないだろう。

 槍兵と相対するは、彼を止めた剣とは別の陰陽の二振りの剣を持つ者。衛宮士郎が信頼を持って扱う干将と莫耶を携えた者。

「何だ、掛かってこないのか」

 槍の構えは解かず、呆れた顔で槍兵がぼやいた。

 一向に赤衣装の男に動く気配はない。それどころか、コレは動くモノなのかと疑問に思うほど微動だにしない。
 では、槍兵が向ける視線の先は――確かに赤衣装の男に向けられている。しかし、それに向けるのに可笑しなぐらい低い位置。

 そう、槍兵が相手にしていたのは赤衣装の男ではなく、

「タダノ足止メダ。早ク行ッチマエ」

 その男の腰よりも低い丈しかない人形だった。両の手に在る陰陽の剣は自らの丈程もある。だが、人形の身なりが小さくとも、纏う空気は禍々しいと表現するのが正しい程に歪んでいた。それでも相対する槍兵が動じる気配など全くなかった。唯、己の行く手を阻む人形の言葉の真偽を赤い眼で観ずる。

 ――風が吹く。

「アー―――――」

 気の抜けた人形の声が辺り一面に通過する。
 何の意味も持たない声が一段と静かになった橋上で響く。
 それは居なくなった者を惜しむかのように。

「周囲ニ何カ居ルカ?」

「――いえ、居ません」

 特定の者に対して問うた訳でもなく、放り投げただけの言葉に人形の妹が答えた。
 人形は、それ以上喋る事はなく、呆然と遠くを眺める。

 流れる沈黙。

「仁さんは――」

「仁はどうなったのよ! 落ちついてる場合じゃないでしょ! あんなに蹴り飛ばされたのに……っ」

 いち早く沈黙を破ったのは黒髪の剣士、だったのだが橙色の髪の少女の大声に遮られた。
 彼女達が心配している相手は、槍兵に蹴飛ばされ、周囲に広がる湖へと落ちた人。特にアスナにとっては、今まで記憶にない程の距離で人が飛ぶのを見たのだ。動揺は当然する。その湖へと落ちた人が、未だ姿を表す気配がないのだから尚更と心配の種は尽きない。

「早く仁を助けに行かな――」

「オイ、何シヨウトシテンダ」

 必死の形相で行動に移ろうとしていたアスナを、冷めた口調でチャチャゼロは止めた。

「刹那ハ周リノ警戒ダケシトケッテ言ッタダロ。テメェハ嬢チャンヲ守ルノガ役目ナンダカラナ」

 チャチャゼロに警告されたのは、アスナと同じく、湖に沈んでしまった人を助けに行こうかと迷っていた刹那。

「ソレトバカレッド、イクラ馬鹿デモ風邪引クカラヤメトケ」

「ですが――」
「馬鹿って、どういう――じゃなくて何で止めるのよ!」

 少女二人と人形が、先程と似たような展開を繰り拡げさせる。
 さっきと違う所を挙げるなら、動揺する二人の下に、人形が二刀を引きずりながら近づいている事。湖に飛び込もうものならば斬る、とばかりに人形が歩いていた。

「そ、そんな恐い風にしても……」

「アスナさん、刹那さん、僕が行きます」

 ゆらり、と杖で体を支えつつ立ちあがる少年。揺らめく体から力なんて感じられず、ネギは明らかに無理をしていた。誰もがその事を一目見ただけで判る程に、ネギの体は疲弊している。だが、それでも「大丈夫です」と、ネギは笑顔で語った。

「無茶スンナ坊主。ソンナンジャ心配カケルダケダ」

「そうよ、ネギ。いくら魔法使いのアンタでも今の状態じゃ……」

「チャチャゼロさん、茶々丸さんが先程言った様に、周りに何も居ないなら大丈夫の筈です。それに、今の僕でも湖の中に入って行くぐらいできます」

 道理であると、ネギは確信の言葉を人形へと向ける。

「何よりも、仁さんは僕の生徒であり、親しき人です。ですから――」

「ダカラ無茶シテデモ行クッテカ。蹴飛バサレテ気ヲ失ッテ溺レテルカモ知レナイ奴ヲ助ケニ」

 チャチャゼロが自身の独特な笑い声を含めて無茶をしようとする少年へと語り返す。

「確カニ何モ居ナイカモダ。ダガ俺ノ御主人ガ帰ッテ来ルマデハ湖ノ中ニ入ルノハ賢明ジャネェ。今“俺カラ離レル奴”ハマズインダ。コレダケ言ッタラ、ガキノテメェデモ状況ガ分カルダロ。ソレデモ行クノカ?」

「はい」

 人形の脅しかかった言葉にも屈せずに少年は即答した。それは曲げようもない志。少年の目の前まで来ている人形が、力ずくで止めようとしている今だが、これがなければ少年は直ぐにでも湖の中へと飛びこんでいるだろう。

 再度訪れた沈黙。

 少年の眼を見て「ハッ」と鼻で人形が笑い、沈黙を切った。ネギの根気に負けを認めたのか、チャチャゼロの剣を持つ手の力が緩くなっていた。

「――それでは」

「変ニ頑固者ダ、ドウ思ウバカレッド」

「……頑固者っていうのには同意……ん、また馬鹿に」

「聞ク相手ヲ間違エチマッタカ。デ、オマエハドウヨ?」

「人をそこまで心配してくれるなら、感激するってもんだ」

 人形の問いに答えた声の方へと視線が集まる。チャチャゼロと会話していた者、黙って光景を眺めていた物、湖に飛びこもうとしていた者の全ての目が一点に集まっていた。そこには、橋の下から這い上がる人。掛け声をつけつつ、ゆったりと橋の上へと辿りついた一人の姿があった。

「で、何だ、この空気は?」

 水に浸かってしまいズブ濡れになった人が、己へと視線を向ける人達に問いかける。

「話聞イテナカッタノカ?」

「ん……あー、心配してくれてるだろうから、さっきのはつい言っちまっただけだ」

「ナルホドナ。マァ、サッキノ問ハ簡単ニ答エルト、オ前ガ弱イセイダ」

「……返す言葉がない故に、いつもの毒舌が一段と胸に刺さるな。それはいいとして、エヴァ――――」
「って、何でそんなに冷静に話してるのよアホーーーっ!」

 流れるように続く会話が、ハリセンの頭を叩く快音で綺麗に止まった。

 

 

◇◆

 

 

「…………」

 言葉が出てこない。こんな場面で、この快音を食らわせる奴がいるだろうか。しかも、形状はハリセンだけど、材質は紙じゃなくて硬いんだ。それに加えて、アスナの馬鹿力が痛みを加算させる。
 口に出すとオレに当てようとしたハリセンが、本当にオレに飛んでくるので出さねぇけどさ。

「この頭の上にある物をどけろ、神楽坂馬鹿」

 静かに怒声を吐いたのは金髪の吸血鬼。

「あ、う…・…ご、ごめん」

 アスナは謝りながら、一声打ってハリセンをカードに戻し、叩いた相手に申し訳ないと何度も謝る。まるで上司に謝る平でも見ているようだ。それも本当はオレに当てようとしていたアスナのハリセンが、突然とオレの前に転移してきたエヴァに食らわせてしまったせいなのだが。

「ソンナコトヨリ御主人、獲物ハドウシタンダ?」

「む…………」

 エヴァの般若の顔が一変、眼下の干将・莫耶を持ったチャチャゼロをじっ、と見て何かを言おうとしているが、傍に居るオレでも全然聞こえてこない。だが、今の周りの状況とエヴァの態度と表情で、言おうとしている内容はわかる。冗談交えるのもいいが、後が怖いから抑えておこう。

「…………た」

「オイオイ、全然聞コエネエゾ」

「――逃したって言ってるんだ、このアホ人形!」

「ケケケ、ジャアサッキノ馬鹿ノ一発ハ自業自得ダナ。十秒デイイッテ自信満々ニ言ッテオイテ逃スンダカラナ」

「っ……この人形が――」

 続けて物騒な言い合いが耳に入ってくるが気にしないでおく。しかし、この二人は本当に主従関係であるのかと、こんな会話を見る度に分からなくなる。

「仁さん、大丈夫でしょうか……?」

 ゆっくりとだが、足早に近寄って来た赤毛の子ども先生が心配そうにオレを見上げてきていた。

「ああ、心配いらん。ただ蹴られただけだ」

「ただ蹴られただけって、あんなに派手に飛んだのに……やせ我慢かい、仁の」

 言葉の続きは、おそらく旦那ってとこだろうが、言わせずに少年の肩に乗っていた白い物体を握り潰す。優しく接してくれるネギとは、えらい差がある相棒だ。この白い毛を全部剃ってやれば大人しくなるかも知れんな。

「本当に心配はいらん。やせ我慢もしてないから大丈夫だ」

 再度同じ言葉を掛ける。余分な心配を取り除く言葉。

 うむ、納得してくれたようだ。ネギの顔に、オレの言葉を信じていると書いてある。これでこっちも安心できる。ネギの心配する顔はホント辛辣って感じだから困るんだ。
 近くから動物の呻き声とアンタが避けなければみたいな事が聞こえるが幻聴だろう。とりあえず次に――

「仁くん、士郎くんは……」

 一人の震えるような声で、一瞬にして辺りが静かになった。
 刹那の服を掴んで恐怖している姿。普段なら飛んで、言葉に出した者の下へと行くだろう。ソレも予想の外の事が起き過ぎた。こんな姿に成るのが『普通』なのだろう。故に、ネギとアスナの心の強さが際立つ。
 さて、木乃香が心配している人を見れば、近寄りたくても近寄れない、そんな空気がアイツの周りに漂っている。

「エヴァ、服乾かしたりできるか?」

 尋ねると、むっとした表情が返ってくる。それでもオレのしようとする事がわかったのか、無言ではあるが、指をパチリと鳴らし、一瞬にしてズブ濡れだったオレの髪、体、服が乾かしてくれた。
 では、早速お嬢様の不安を少しでも取り払ってやらんと。今の木乃香の姿は見るに堪えられん。

 一歩一歩と目的へと近づく。

 アイツと会ってから、あんな姿は見たこともない。生気も何も感じられない幽鬼のような背中。一言で表すなら「酷い」、これが一番合う。

 目的の横へと並ぶ。

 それほど遠くに居た訳でもないので到着は早かった。いの一番で目的の表情を覗き込む。

「やっぱりか……」

「気絶シテンダロ」

 振り返るとコイツの剣を持った人形。どうやら、オレと同じことを思っていたみたいだ。それは士郎が立ったまま気絶している、というコト。
 士郎の状態を注意を払い確認する。呼吸は静かに、ではあるがしているので問題ない。

「でも、死んでる訳じゃない」

 チャチャゼロに言葉を還して、ひとまず士郎を背負う。気を失ってるのなら歩くのなんて到底不可能。意識のないコイツを動かす手段はコレしかない。あと、コイツに対して、お姫様抱っこなんて絶対にせん。

「……別段問題はないな」

 またもやと、いつの間にか近づいてきていたエヴァが、背負っている士郎の表情を覗き込んでいた。

「それにしてもエヴァがそこまで心配するとは意外だな。士郎も人気者で幸せだねぇ」

「黙れ、阿呆」

 度が過ぎた。エヴァの珍しい表情が見れたから、つい口が滑ってしまった。折角落ち着いた金髪のお姫様を般若様に変えるのは簡便である。しかし、オレがこんなだから避けられてるのかね。

「ほら、衛宮士郎は無事だ。お前達も早く来い、歩かなくては家に帰れんぞ」

 エヴァが一つに固まっているネギ達に、うんざりした顔で手招きをしながら呼びかける。どうやら機嫌を少し損ねさせてしまったようだ。反省しよう。

「――って、エヴァ。歩いて帰るのか? 今なら転移で帰ることぐらいできるだろ?」

「いいから貴様は、さっさと先に歩け。アレが今の士郎を見れば卒倒するかもしれんぞ」

「……そいつは遠慮したい」

 エヴァの囁く声は、刹那の腕に震え付く木乃香を見てだ。

 とりあえずは言われた通りに歩くとしよう。
 背中に抱える重さは、さほど感じないので歩く速さも普段通り。整った橋をスタスタと歩く。

 数歩行った所で、足を止めぬまま後ろの連中を一度眺める。

 心配いらんな。木乃香には刹那、ネギには茶々丸が付き添ってる。その幾らか前にアスナが一人、ではなく、チャチャゼロと並び、後ろの組を先導するように歩いていた。
 目に付いたのは、ネギが先生としてしっかりした態度でいたいからか、遠慮してんのか、付き添ってる茶々丸に遠慮がちにしていた所。さてさて、やせ我慢してるのはどっちだよってな。

 後ろにある気配を確認しつつ前へ進む。

 湖を出て暗く静まり返った森の中へ。視界が悪く奇襲にはもってこいの地形だ。

「そんなに張り詰めんでも、もう敵は現れん」

 平然とした顔で横に並ぶ金髪の少女。その手に自分の従者から奪ってきたであろう陰陽の剣を握り、それを眺めつつ此方へと話しかけてきていた。

「貴様が最後に、あんな事を言わなければ逃さなかったものを」

「あんな事って言われてもなぁ。重要な事なんだからしょうがないだろ」

 陰陽の剣を手の中で弄びながら、固い表情で、何処か不機嫌そうな表情のエヴァ。

「それで、“切り札を使うな”というのはどういうことだ?」

「おや、エヴァからまたオレに質問してくるとは、この数分で何度目か」

「貴様は、黙って質問にだけ答えればいい」

「手厳しい言葉だ。それで、喋っても問題ねぇのか?」

「心配ない、聞き耳を立てているのもアイツらぐらいだ。何を聞いていようがどうせ理解など出来るハズがない」

 エヴァが特にアレ、と何気なく親指で、くいっと後ろを指す。誰かは理解できているから振り向いたりしない。地獄耳を持ったのは、この場で一人だけだ。

 しかし、どう話そうか。エヴァは問題ないとは言っている。確かに後ろの面子とは、距離がある上に何やら話を交えているから、此方の話を全て聞き取られる事はないだろう。それにエヴァの言っている通り、アイツらが理解できるような話にはならない。
 それでもオレとしては、少しでも聞かれるのはよろしくない。アイツらのことだから、変に勘付かれると厄介な方に進むのは一目瞭然。何にせよ、今はアイツらに突っ込まれるとマズイ気がする。

「あー、エヴァ――」

「話したくないのなら別に構わん」

「……顔に出てたか?」

「…………」

 話を切り出す前に悟られていたようだ。しかも良くなかった機嫌が更に良くない方向へ加速している。

「屋敷に戻ってからなら話せる。それに、士郎が起きてからの方がいい話だ」

「……そうか」

 秘密にしとくのがまずかった、と思ってフォローを入れてみたのだが……エヴァの機嫌は変わらず。どうやら暫く気まずい雰囲気のまま歩むしかないようだ。

 しかし今はコレで済ますのが丁度いい。こんな風に歩くだけで十分だ。

 なんせ、こんな真夜中なんだから――。

 

 

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――6巻 52時間目――

修正日
2011/3/4
2011/3/16

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