44 修学旅行4日目・夜が明けて

 

 

「ん……ああ……」

 誰の声? 自分の声だ、それぐらいすぐに分かれよ。
 全身に重みを感じる。心地好い重みと腹部にだけ他の部位よりある重み。オレの視線の先にあるのは木造の天井。つまりは――

「……寝てたのか」

 口に出しながら体を起こす。
 全身に感じた重みは布団から。触り心地抜群でとてもいいもんだ。それと、自分の着物が見覚えのない浴衣である事に気づいた。いつ着替えたのか……まぁいいか、寝る前に寝やすい格好に着替えるのは当然の事。

「ヤット起キヤガッタカ。アト一秒遅カッタラ腹ニ拳イレテヤッタノニナ」

「目覚ましにパンチは激しくお断りしたい」

 腹の一箇所に感じていた重みは毒舌を吐く人形のもの。開口一番の言葉が絶好調なのは、いつも通りだ。
 チャチャゼロの頭をポンポンと叩き、抱き上げて自分の頭の上に乗せる。
 さて、何をしようか――

「ん…………?」

 異変に気付く。というより何故気付かなかった。
 オレを見る目が、ひぃ、ふぅ、みぃ……と数えて丁度、二十の数。それが一斉にオレへと集まっていた。

「ほぅ、人の寝顔を見るとは関心する」

「何、馬鹿言ってんのよ」

 真っ先に返してきたのは、オレの右手側から。オッドアイの瞳が冷たく光っていた。コイツも人形と同じく、いつもと変わらない態度である。

「どうやら、その間抜け面を見る限り、何も憶えてないようだな」

「あァ……?」

 次に言葉を挟んできたのは、少し離れた壁に寄り掛かっている色黒隊長。
 相手の態度も態度。からかってるのは分かるのだが、オレもそれに相応しいような乱雑な言葉で返してしまう。

「こういう時はショック療法が良いでござるよ」

「いや、待てい」

 真名の近くに座っていた楓が、目にも止まらぬ速さで後ろへと回り込んできやがったので、言葉で制止する。
 残念、と一言打って、とぼとぼと初めに居た場所へと戻って行く忍。コイツはコイツで落胆が演技っぽいので気に留めない。というより言った内容がアレなので、留める必要性が皆無である。

「オイ馬鹿、忘レテンノカ」

「ちょい、待て」

 頭の上からも似たような言葉が飛んできた為に、まずは向かって来る視線を全て外して、思考へと入った。

 

 

 

 

 ……どうするオレ。さっきエヴァと会話してから、どれだけ時間が経った? 会話もせずに、コイツと並び歩いて何分経ってる? 10分、30分、いや1時間? わからん……でも、こういう時の時間の流れは遅く感じるものだ。10分程度が妥当な線か。森の中を歩いているせいか、余計長く感じる。

 どうしようか。オレに対して、つんけんとするエヴァは、いつものエヴァなのだろう。それでも何か話す訳でもなく、ただ並んで歩いていると非常に気まずいものだ。オレが背中に担いでいる奴は、一向に目を覚ます様子もないし。後ろのメンバーは近寄って来ない。場を茶化すに持ってこいのチャチャゼロは、後ろのメンバーに加わってる。

「エヴァ」

「…………」

 とりあえず名前を呼んでみると、無言で目の端を此方へと向けてくる。だがそれも、前へとすぐに向き直してしまい、変わらない調子でオレの歩幅と合わせてくる隣の金髪少女。

「……拗ねてる顔も悪くないが、オレは無邪気に笑う顔の方がい――いっ……ッ」

「誰が拗ねてる、だ! 誰がっ!」

 オレの腹に陽の剣を握り込んだ拳が食い込んだ。思わず咳込み、呻く声が上がってしまう。
 言葉の選択肢を誤ったのだ。この所業は致し方なし。
 しかし、背中に怪我人……ではないが、それに近い奴を背負ってるせいで、回避なんて出来ないってのに容赦ない。そういえば、修学旅行前も茶化そうとして殴られそうになってた。すっかり忘れていました。お陰で自分は、えらい目にあってやがる。

「……何やってんのよ」

「だ、大丈夫ですか、仁さん」

 足を止めてる間に、後ろの面子が傍まで来ていたようだ。
 後ろを気にする余裕なんて殴り飛ばされちまったので、全然気付けなかった。それともオレがエヴァに対して、どうしようと思案してる最中に近付いていたのか。

「ふ、ネギの優しさが何よりも心に染みる」

「カッコツケテ笑ッテモ、カッコツイテナイゼ」

 もはや何も言うまい。珍しくネギの頭の上に居る人形は、目に入らないさ。
 唯の一つ、ネギがいい子だという事実だけは変わらぬ、変わらぬのだ。でも心配されてばかりのオレは少し悲しい気分である。

「木乃香、士郎なら大丈夫だから安心してくれ」

 頭の中を切り替えて、暗い顔で心底不安そうにして、刹那の腕に掴まってる黒髪の少女へと話す。よく見ればアスナも心配そうにしている。そりゃあ、いつも仲良くしている友人がこんな状態なんだ。
 アチラから近づいてきたのだから、丁度いい機会だ。それを可能な限り、取り除いてやるべきだろう。

「案外、思い切って頭をぶっ叩いたら起きるかも知れんぞ」

「……そうなんかなー」

 返って来る木乃香の言葉は、トーンが若干低い。冗談も加えてみたが効果は薄いようだ。それでも、微笑んで返してくる。気を遣う所か、逆に遣わしてしまっている。
 オレが背負っているコイツがすぐにでも起きてくれれば一番なんだがな。どうやって、この見てるだけで心苦しくなる表情を取り除く事が可能か――

「大丈夫です、お嬢様。仁さんもこう言っています――それに、士郎さんはとても強いお方です」

「……せっちゃん」

 成程、この役目はオレではなかったか。予想をかけ離れたイベントが発生したが、良い事もちゃんとある。
 できればもっと早くきっかけを作ってやればよかった。詰めが甘いと何処からか怒号が飛んできそうだ。

 ……何だ、その目はチャチャゼロよ。文句言いたいような、貶したいような目で、ネギの頭の人形の目が此方に向いている。む、目を逸らしやがった。

「ソレデ、御主人。イツマデ歩キ続ケンダヨ。サッサト詠春ノトコニ帰ッチマオウゼ」

 チャチャゼロのオレを逸らした目は、そのまま御主人の方へと移って提案を出す。というより、チャチャゼロの場合は、例え下に出ていても命令に近い。なんせ、否定はするな、というのがチャチャゼロの信条である。だが、相手はマスターだぞ。

 言葉を受け取ったエヴァは、当然のように舌打つ。万年反抗期な従者を持つと大変だ。でも、この反抗期は、学園に囚われている不甲斐無い主人に対する歪んだ愛ってコトにしといてやろう。
 エヴァは一度の舌打ちを終えて、今度は溜め息を吐く。

 次の瞬間、視界が暗転した。

「……転移か?」

 オレが訊く相手は、当然コレを行使しただろう人。真っ暗な景色を目で捉えていたのは一瞬。再び正常な世界の景色を見れたかと思うと、暗転前の景色と異なるものだった。

「それ以外に何がある」

 当然だと返してきて、スタスタと一人で前へ進んでいくエヴァ。

「ウチの家の裏や」

 木乃香の声は森の中を越えた先に移る立派な作りの建物の一角に向けて。つまりエヴァが転移した所は、木乃香の家から少し外れた所だ。
 いやしかし、転移ってのは便利。これを使えれば交通費が浮くコトも間違いなしで、何とも素晴らしい魔法の一つだ。

「今テメェ阿呆ナコト考エテタダロ」

「いーや、とってもタメになるコトを考えてた」

 しょうもない事を考えるのは、これぐらいにしておいてエヴァを追いかけよう。
 オレが足を進めると、立ち止まっていた皆も合わせるように歩く。

「これだけ人数相手に転移魔法を予備動作もほとんどなしに一瞬で送るとは……さすが真祖」

「エヴァを賞賛してるカモさんよ、お前何かしたか?」

「えっ……い、いや、兄貴のサポートとか……したッスよ仁の旦那!」

 後ろから聴こえたカモの声に言ってやると面白いぐらい動揺した声が返って来る。
 そりゃあ、本来起きるべきネギのサポート以下になっているのだから、こんな反応が返って来る。今回、カモが役に立ったと言うなら、湖上の竜巻内で皆に奪還作戦を提案したぐらいである。それでもコイツなりには十分役に立ってる。ネギの傍に居るだけでも十分だ。

 さて、家の中に入って今日は終わり。と言うよりも終わってくれるコトを願う。今日はコレ以上、此方側の敵という存在と会いたくなかった。後は未だ石化しているだろう本山の人達を解呪可能な術者の増援を待つだけで終わりたい。

 願いを思いながら歩いていると、先に歩いていたエヴァが立ち止まっていた。何かを見上げるエヴァの姿が映る。

「やっと戻って来たか」

 不意に飛んでくる声はエヴァの近くからだった。

「何だ、お前ら戻ってたのか」

 その声にオレから言葉を返す。此方へと声を掛けたのは真名。バイオリンケースらしき物を脇に置き、木に寄りかかってオレを見下ろしていた。脇に置いてある中身は、楽器ではなく物騒な火器なんだろう。

「そちらに、言われたのでな」

 真名が軽く顎で手前に居る金髪少女を示す。それを受け取っている方はというと、やはり無言で受けていた。

「拙者達は仁殿に言われた通りに真名と合流でござる」

 楓が見上げて、満足そうにオレへと言う。真名以外に居たのは、楓、古、夕映の三人。此方は座って談笑していたようだったが、夕映だけはオレ達の姿を見るとすぐに立ち上がって此方を迎えていた。残る二人は至極マイペースで座って休んでいる。

「ふむ、一人以外は無事でござるか」

「外傷はないからコイツも心配しなくていい」

 とは返したものの、新たに加わった四人の中で、背中のコイツを心配しているのは夕映だけだ。古も少しばかりは心配しているのだが、夕映と比べると落ち着いている。残りの二人は、顔色一つ変えずに余裕の態度。こういう場合は寛大な奴って言えばいいのか? 違うか。

 しかし、本来ならば祭壇で皆合流する筈だったのだが、此処で合流する事になるとは。コレはさっき聞いたように。エヴァが真名に帰っておけと言いつけたせいだ。
 本来ならば流れと違い不満が残るものなのだが、今回ばかりはありがたいモノとなっている。もし祭壇に向かっていれば、間違いなくコイツらも槍兵と出くわしていた。

「外に居続けてもしゃあねぇ。とにかく、家の――」

 

 

 

 

 ここで記憶がプッツリと切れて、いくら思い出そうとも続きは出てこない。これから導かれる答えは単純。

「どうやら帰ってきて早々気絶しちまったようだ」

「何だ、覚えてるじゃないか」

 くっ、とオレに向けて笑いやがる真名。

「ダラシナイノモ此処マデ来ルト爽快ダ」

 いつもの笑い声を上げながら、人の頭をバシバシと叩く頭の上の人形。
 これぐらいの痛みは耐えれ――――やっぱり痛いからこれ以上は無理。

「それで、お前らは寝ずの看病でもしてくれたのか」

 むんずとチャチャゼロの頭を捕まえて胸の前へと持ってくる。顔を上げて「バーカ」と連呼してくるが気にしないでおこう。

「そうなんだよ仁! アンタと衛宮が気絶したって聞いたから、わざわざ私達が朝になってまで――」

「ハルナは、さっき起きたばかりです」

 片腕掲げて御高説していたハルナだったのだが、隣の夕映によって、まんまと嘘が潰されている。

「一々、面倒な女め」

「ほほぅ、私に対してそう言うとは、覚悟はよいか?」

「全くよくないし、してないし、愚か者でもない」

 オレがハルナに対して言った軽い煽りに対して、相手は日常の調子でネタ混じりに返してくる。
 今のオレの「面倒だ」という言葉は、冗談混じりでもあるが本心でもある。寝ずに看病してくれただろうメンバーの中で、早乙女ハルナだけが、未だ此処の魔法について何も知らない。昨日の内容で、元々知らなかった世界について、コイツ以外メンバーがソレを知ってしまった。故にこの中に居る今、コイツが居ては話しづらい事が多々ある訳だ。

「うちはちょっと寝かしてもろたかな」

 左手側から素直な言葉が飛んでくる。若干申し訳なさそうに座っている木乃香。その隣には、お約束のように刹那が正座で構えている。オレに話したいコトもあるだろうが、今はその時ではないと、アチラも分かっているようなので言葉は交わさない。

「まぁ寝てたのが、このかとネギ君とハルナね。私と本屋も皆が帰って来るまで少し眠らせてもらったけどさ。ま、この通り屋敷の中の住人は無事ってね」

 部屋の隅っこで壁に寄り掛かり、楽な姿勢で座っていた朝倉が言う。その中で簡潔にオレが知りたいコトも言ってくれた。屋敷の住人が無事、つまりは石化魔法も解呪されて事は終わったと。石化されていた、朝倉、ハルナ、その隣に居るのどかを見れば分かる事でもあるが、こう言われてやっと、そうなんだと確信を持てる。

「結局ハルナの爆睡は変わらないアル」

「ふ、昨日は遊び疲れたのよ……っ」

 古がハルナの肩に手を乗せて、からかうように言っている。
 石化中は眠っているのと同じなのか、ハルナが細かい事を気にしない奴だから、今みたいな事を言ってるのか。ハルナの場合は両方だな。

「すいません、仁さん……先生の僕が先に寝てしまって――」

「ネギは一番仕事してたからな。ずっと寝ていても文句はねぇよ」

 アスナの傍で一段と申し訳なさそうにするネギ。さっき見た木乃香よりも、表情は暗い。
 この二人に関しては、片方は目的のために力を使い、片方は敵方に力を吸われていたのだから、寝てしまうのが普通。むしろ寝てないで起きいてたのなら怒ってやる所だ。

 真名、アスナ、楓、ハルナ、夕映、のどか、木乃香、刹那、古、ネギ、コレで一目で部屋を見渡した時に確認出来た二十の目、全て3-Aのメンバーだ。ネギの肩に乗っている小動物とチャチャゼロは除いた数字である。

「さて、問題はコッチの男ってか」

 話を切り返す。今起きたのはオレ。だが、あと一人だけ起きてない奴がココの部屋に居る。そいつは、オレの布団から幾らか間を開けた布団の中で横たわっている奴。さっき思い返していた記憶の中でも目を覚まして居なかった人、衛宮士郎だ。
 士郎を見れば、泥のように眠っているが呼吸はちゃんとしている。心配はない筈だが、コイツが気絶しただろう場面を見てる連中からすれば、未だこんな状態で寝てる士郎を見れば安心も出来ず寝れやしない。あの時の事を見てない連中も、あの士郎を見た連中から聞いたせいで徹夜して看てくれているのかも知れん。それに加えてオレも意識を失ったと。そりゃぁ、心配の種が増えちまって、益々寝れなくなっちまうよな。

「防人さん――」

 オレの名を呼ぶ方へと目を向けると、部屋の一歩外、渡り廊下に茶々丸が姿勢を正している姿が在った。

「マスターが御呼びです。差し支えなければ、此処から北へ1つ離れた屋敷の方へと足を運んでいただけないでしょうか」

 本山に来ている3-Aの人物で、この部屋の中に居なかった茶々丸。そして今、茶々丸が挙げたエヴァ。この二人が居ない事には、起き上がりの頭でも、すぐに気付いた。エヴァに関しては自分から好きに動く奴で、団体行動なんて取らない奴だから居なくても不思議じゃない。茶々丸については、オレの頭の上の人形と違って、従順にエヴァに付きそう奴だから居なくてもオカシクはなかった。

 さて、エヴァの御指名を頂いている。その理由は幾らでも覚えが在る為に特定なんて出来やしない。

「……まぁいい。お前らはコイツの面倒でも見てろ」

 士郎を口で示し、オレの下半身に掛かっていた布団を払いのけ、チャチャゼロを頭に乗っけてから立ち上がる。
 行かないという考えも持ってないし、呼ばれたのは丁度いいとも思っている。アイツを待たせ続けても後の状況が悪くなる一方だ。急ぐとしよう。

 茶々丸が顔を見せた部屋の出入り口へ、進路に居た楓を避けながら進む。

「北はそっちだ」

「……わざわざどうも」

 指さして場所を示してくれた背の高い声に礼を返す。オレの言葉に棘があるのは、そいつの笑い顔が若干気に障ったせいだ。こんな時でもオレをからかおうとする隊長さんには、思わず舌を巻く。

「あー、チャチャゼロを頼む」

「――マァイイカ」

「お気をつけて下さい、防人さん」

 頭のチャチャゼロを茶々丸に手渡して、来いと言われた場所へと早速向かう。
 茶々丸の使う所がオカシイと思える言葉と、やけに素直に降りたチャチャゼロに疑問も抱くが、ソレを気にしては負けだろう。

 部屋の中から誰もオレを止める様子もなく、すんなりと部屋からは遠ざかれた。
 ここ周辺の屋敷には人の気配が少なく感じる。幾ら早朝とはいえ、あの事件の後だからドタバタしている方が自然だと思うが、此処まで静かなのは長の近衛詠春が手配してくれているお陰だろうと思う。
 急ぎはするが、走りはしない。いつも歩くように進む。寄り道もせずに、足を運べと言われた屋敷の方へと。頭の中では、ある程度来るだろう質問の答えを考えつつ、いつの間にか着替えている浴衣で歩き回っても問題ないかな、と気軽に考えながら足を進めた。

 チャチャゼロを茶々丸に渡してから、一分程度で指定された屋敷についただろう。
 屋敷の一辺に開けた障子が見えたので、そこまで足を運んで、部屋の中の様子を覗く。他の屋敷のように和室なのは変わりないが、ガランとした様子で何も無く、静かだった。そして、その中心には、座した金髪の少女が目の前の床に置かれた夫婦剣に対し、眉根を寄せて注視している姿が在った。

「女の子が胡坐をかくもんじゃねぇと思うが」

 部屋の外から、部屋の中のソイツへ向けて言葉を送った。

「……何処ぞの男のような台詞だ」

 エヴァの目は二刀に落としたままで、格好も変えずに言葉を返して来る。

「衛宮士郎は、まだ起きないのか」

「ああ」

 続けて来た質問には、二つ返事で簡潔に返す。

「オレが起きたすぐ後に絡繰が来たから、てっきり魔法を使って見てたんだと思ってたんだけど違ったのか」

「さあな」

 素っ気ない言葉が飛んできた所で、部屋の中へと入る。
 部屋の中心に居る人物からは、旅行前にオレへと放っていたピリピリとした様子が余り感じられない。お陰で、いつもよりは此方も楽に構えられる。

 二刀の切っ先の前まで歩き、そこに腰を下ろした。

「あの剣はどうした」

 エヴァの目が、二刀から動く。向けられた先は、オレの胸の辺り。オレが身につけている魔法具に向けてだろう。コレをくれたのはコイツで、この中に剣を入れている事も、今言った通りに知っているのだが――

「カラドボルグは恐らく壊れた。あの剣の友人と戦ったせいなのか、オレの力不足のせいなのか、壊れた理由は定かじゃないが、壊れて手元にないのは確かだ」

 エヴァは幻想が壊れた場面を見ていない。あの時、エヴァは一人で、もう一人の敵の方へと立ち向かって行っていたのだから。
 剣については、今、推測で壊れたと言ったが、こう言うのもオレじゃ判断し難いからである。今まで、衛宮士郎が投影した剣が壊れた場面を何度か見ている。一番近い所では、鍛練で使用していた刀の投影品か。この刀と、昨日アイツによって壊された【カラドボルグ】の壊れ方は、同一に見えた。それでも、投影は特に異例のモノ、創造した本人にしか分からない部分が多い。刀が壊れた時は、士郎が「壊れた」と言っていたが、カラドボルグは創造した張本人が見る事が叶わなかった為、どうしても正確に判断を降せなかった。

「……“クー・フーリン”か」

 蒼い目を再び二刀へと落とし、エヴァは呟く。

「やっぱ判ってたんだな」

 エヴァが挙げた名は、紅い魔槍を己の一部のように自在に操っていた青い槍兵の真名。此処より遥か西の地の英雄の名。

「当然だ。衛宮士郎が、貴様を救った槍を“本物”と言った時点でアレが何であるかを理解した。そもそも、あの槍の名を知っているのに、あの男が何者であるか気付けなければ唯の阿呆だ」

 淡々と連ねてゆくエヴァ。

「今はコレ以上聞かん。アレが起きてからという話だろう」

「……そういえば、そうだったな」

 昨日の事を思い返してみると、エヴァが言ったままの事をオレも言っていた。こりゃぁ気絶して相当ボケてるのかね。

「……使えるか?」

 干将・莫耶の剣身の丁度中心を支点に、くるりと時計周りと反時計回りに自動的に回転して、柄の部分がオレへと向けられた。

「チャチャゼロからは落第点貰ってる」

 陰と陽の剣を手に取る。向けられたそのままの形で取ってしまったせいで、白が左手、黒が右手と、剣の主の持ち方と逆になっていた。こう思ってしまうと、どうも芳しくないので宙に軽く放り投げて左右を入れ替えてやる。

「相変わらず小手先だけは器用な奴め」

「今のは褒めてる、って取っとこうかね」

 誰でも出来そうな事だが、目の前の少女が言動から、ある程度様になっている動きだったのだろう。それでも本当に小手先の事だけで実力に影響なんてない。
 干将・莫耶ではないが、二刀を扱った鍛錬の時に一人と一体から言葉を貰っている。チャチャゼロからは「片手剣ヨリ愕然ト見劣ル雑魚ノ動キ」、士郎からは「悪くはないが良くもない」と、どちらも辛口の評価だった。それでも刀を使った時よりは断然と評価はいい。

「貴様は知識があろうと魔法を何一つ使えん馬鹿だからな。貴様特有の知識以外は、剣を振るうしか能のない馬鹿だ。主戦力の剣が無くなり、衛宮士郎が起きぬ今は、それを使うしかあるまい。何もないよりは在る方が直進馬鹿でも役に立つ」

「オイ、馬鹿って言い過ぎだ」

 エヴァは小柄なため、互いに座っていても必然的にオレを見上げる。つまらなさそうな表情でもオレに当てる言動だけは、きっちりキツめに言い放っていた。
 オレは睨んでくる蒼い眼に向け、どうしようもないなと受けながら干将・莫耶を床へと静かに置く。そして、くるりと、さっき自動的に動いた時とは変わってオレの手で動かし、最初に置かれていたようにエヴァの方へと柄を持っていってやった。

 エヴァの目は干将・莫耶へと向けられ、完全に動きを止めた剣を数秒眺めて顔を上げる。
 今度は何を言われるのやらとオレは身構えたが、エヴァが見ているのは、どうやらオレではなくオレの肩越しに何かを見ているようだった。

「御呼びでしょうか――?」

 声がしたのは、オレが部屋へと入った入口の方。

「……刹那?」

 振り返り、名を呼んだ。部屋の一歩外で片手に夕凪を持ち、どこかよそよそしくしていた人の名を。

「ああ、私が呼んだ」

 語尾が上がったオレの声へ返すように、さらりとエヴァが答えた。

「立ち話もなんだ。お前も座れ」

「……分かりました」

 刹那は逆らう様子も見せずに部屋の中へと入り、此方へ歩み寄って来る。傍まで来て何処に座ろうかと一瞬悩んだようだが、オレの左手隣、オレとエヴァの間に置いてある二刀の前に座った。傍らに夕凪を置き、正座で姿勢を正した姿は、とても行儀がよく映る。それも真ん前の少女が、いささか態度の悪いせいで余計に、丁寧だと思わされるって訳なんだが。

 刹那を見る。困った表情でオレを一度見て、エヴァを怖々と見ていた。そのエヴァを見てやれば、無言で威圧するように刹那を見ていた。
 呼んだ調本人が口を開かないまま、時が何秒か過ぎる。

「出せ」

「え……」

 エヴァが唐突に声を上げた。しかし、その言葉に主語がない。返した刹那の反応はもっともである。

「カードだ。この馬鹿と仮契約したのだろう?」

 エヴァは溜め息を吐いてのち、低い声で言葉を続けた。

「……チャチャゼロから訊いたのか」

 エヴァへと問う。だが答えは返って来なかった。
 刹那はオレへ、どうすればいいかと表情で語ってきたのに対し、構わないと仕草だけで語り返す。すぐに刹那は衣服にしまい込んでいた仮契約カードを取り出して、エヴァへ手渡した。
 エヴァの手の平より少しばかり大きなカードは、エヴァに、じっ、と見られたり裏表と返されたりと忙しそうに動かされている。

「主は貴様か」

「形的にはそうなってる」

 カードから目を離してオレを睨みつける目に返す。

「成立したのは何時だ」

「二日前の真夜中」

「……貴様について何か話したのか?」

「ああ、少しばかり。戦いが始まる前に」

「……時期が悪い――いや、運が悪いか」

「寝込む前までは、そう思ってなかったが今はオレもそう思うよ」

 エヴァの質問には最低限且つ分かり易いように簡潔に返し、全てを伝えた。その全てはエヴァの持つ刹那の仮契約について関わる事、オレの根底に関わる事。

「何時マデクッチャベッテンダヨ」

「……お前は呼んでない」

 エヴァが溜め息吐いて言葉を向けるのは自分の小さい方の従者。自分勝手な従者の方である。

「それも含めて話は全て後だ。あの男が起きなければ纏めて話もできん。そうなんだろう?」

「そうだ」

 エヴァが、ピッ、と刹那に仮契約カードを投げ渡すと、一人で部屋を先に出て行ってしまった。

「刹那、今は何も気にしなくていい。問題があればすぐに言うし、今抱えている問題はオレが纏めねぇとならんからな」

 コチラも部屋を出ようと立ち上がる。ついでに部屋の中に取り残されたアイツの二刀を両手に片方ずつ持った。
 話も終わった今、此処には用がない。後はあの男が目覚めるのを待つだけである。刹那にも部屋を出ようと促してから、もと居た部屋に向けて足を進めた。

「テメェハ、モウチョイ早ク事ヲ纏メレネェノカ」

「オレが抱えている問題は意外とデリケートなもんで、その場に応じて慎重に考えないといけんからな」

 飛んでオレの頭の上に乗ってくるチャチャゼロ。外で動けるとなってからは、どうも機嫌がいいようで、出す言葉の一言一言がハキハキとオレを貶してくれる。とてもありがたくないコトだ。

「マァ、仁ノ身体ガ無事ナノガ気ニ食ワネェナ。御主人ガ、テメェノ服ヲ引ッペガシテ、テメェノ身体ヲ診テタケド何デモナイヨウダシヨ」

「……何か不穏なコトを聞いた気がするんだが」

「俺モ診テタシ全クト言ッテ良イ程、オ前ノ身体ハ問題ネェヨ。後、色黒女ト忍者モ診テタナ。アァ、刹那モダッタナ」

「あ……い、いえ……私が診たのは上半身だけですから……何も問題ないと……」

「からかうのも大概にしろよ」

 別に上半身だけなら見られてもなんとも思わないが、刹那が顔を赤らめて背けてるせいでコチラも少しばかり恥ずかしくなる。

「ケケケ。デモ急ニ、ブッ倒レタ仁ガ悪イダロ」

「否定はできねぇ」

 チャチャゼロの奴はオレを貶しつつ、刹那をからかって遊びやがる。とても絶好調、そんでオレの苦労が倍だ。

「おや、早く終わったようだが話は済んだのか」

「一通り。だが中心人物が居なければ話も出来んってな」

 アイツが寝込んでいる部屋の障子が開いた出入り口まで戻ると真名が話しかけてきたので言葉を返す。
 壁に寄り掛かる真名の隣に、茶々丸が居るという意外と珍しい組み合わせ。でも会話はないようなので、この組み合わせに余り意味はない。

「起きる様子は?」

 オレが寝ていた布団が片付いているな、と思いながら言葉を投げ掛ける。

「ないでござるよ」

 返してきたのは近くで座っていた楓から。一度、オレの手に在った干将・莫耶を見るが、すぐに寝込んでる奴へと視線を戻した。
 そりゃそうだろう、と今返ってきた言葉に納得する。オレが出て行く前となんら変わらぬ様子で寝ている男の姿。その傍で部屋の中に新たに加わったエヴァが士郎を見下ろして様子を窺っている以外、士郎を心配する皆に変わりはない。

 部屋の端で真名と一緒に遠くから士郎が起きるのを眺める、というのもありだが、しっかりと様子を見て置くべきか。オレが見ても何も変わりなさそうだけどさ。

――パキッ――

 鋼が砕ける音が響いた。部屋の中の視線がソレに集まる。音の位置はオレの両手に在った筈のモノから。
 映像がリピートした。壊れたものは違うのだが、繰り返し見るような映像だと思わされた。

「……ギ……ッ……」

 ――声とは程遠いモノが通り抜ける。

 

 

 

 

「あ゛あ゛アアあ゛あア゛あ゛あああああッっっ――――ッ!」

 ―――ガシャン

 

 

 

 

 悲鳴のような叫び声と鉄を打つ音が轟く。

 混じり合う音は畏怖と恐怖を撒き散らした。

 死に物狂いで起き上がった男を中心にして、衛宮士郎の幻想という異物達が、部屋の中で相応しくなさそうに突き刺さっていた。

 

 

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――6巻 52時間目――

修正日
2011/3/4
2011/3/16

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